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|死没地 =
|出身校 = [[早稲田大学]][[教育学部]]
|前職 = 国際交流[[第三書館]][[取締役NGO]]スタッフ
|現職 = 衆議院議員<br />(所属委員会/[[国土交通委員会]]、<br />東日本大震災復興特別委員会、<br />憲法調査会)
|現職 = 民主党大阪第10選挙区支部長<br />民主党政策調査会副会長
|所属政党 = ([[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]→)<br />(無所属→)<br />(社会民主党→)<br />(無所属→)<br />[[民主党_(日本 1998-)|民主党]]
|党役職 = 政調副会長
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|就任日 = [[2011年]][[3月13日]]
|退任日 = [[2011年]][[9月5日]]
|所属委員会 = [[国土交通委員会]]<br />東日本大震災復興特別委員会<br />憲法調査会
|所属委員会 =
|議員会館 =
|元首職 =
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[[奈良県]][[吉野郡]][[大淀町]]生まれ。[[大阪府]][[高槻市]]で育つ。
 
[[名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校|名古屋大学教育学部附属高校]]、[[早稲田大学]][[教育学部]]卒業。[[過年度生|大学浪人]](2浪)中に通っていた[[代々木ゼミナール]]の[[講師 (教育)|講師]]だった[[小田実]]によって、[[左翼]]運動界へと[[スカウト (勧誘)|スカウト]]される。早大在学中の{{jdate|1983}}、その前年に起きた[[歴史教科書問題]]に触発され、[[アジア|アジア諸国]]と日本の交流の活性化を目的とした[[非政府組織NGO]]「[[ピースボート]]」を設立した。その後も[[市民運動]]に関わり、{{jdate|19881993}}には[[第三書館エイボン]]取締役に就任する女性大賞教育賞を受賞
 
=== 衆議院議員 ===
{{jdate|1996}}、同年に[[日本社会党]]から改称した[[社会民主党_(日本 1996-)|社会民主党]]党首の[[土井たか子]]の誘いを受け、[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[比例近畿ブロック]]単独で出馬し、初当選する。同期当選の[[保坂展人]]や[[中川智子]]らと共に「土井チルドレン」と呼ばれることになる。
 
議員活動では[[特定非営利活動促進法]]([[NPO法]])、[[被災者生活再建支援法]]、[[情報公開法]]、[[児童買春・ポルノ禁止法]]などに取り組み成立させる。[[COP3]]「地球温暖化防止」プロジェクトチーム、[[男女共同参画社会基本法]]、[[環境アセスメント法]]審議に関わる。2000年[[ダボス会議]]「明日の世界のリーダー100人」に選出される。
 
特に[[NPO法]]については、[[田中角栄]]元総理以来となる一年生議員としての[[議員立法]]を果たした。
 
当時、社民党は[[自社さ連立政権]]の一翼をになう与党であったが、社民党・[[新党さきがけ]]2党は総選挙直前に大量の離党者を出し(その多くが[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]結党に参加)、総選挙で惨敗を喫した。総選挙を経て発足した[[第2次橋本内閣]]では社民・さきがけは閣僚を輩出せず、[[閣外協力]]に後退し、後に正式に連立政権を離脱する。なお、辻元は一般に「自社さ」と呼ばれた連立の枠組みを常に「社自さ」と称していた。
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{{jdate|2002|3}}、[[週刊新潮]]により辻元が[[政策秘書]]給与の名目で給付を受けた公費を流用し、横流ししている疑惑を報じた。当初、辻元はこの疑惑を否定したものの、後に一部を認め、社民党の内部調査でも報道内容が認められたため、辻元は党政策審議会長を辞任し、衆議院議員も辞職した。
 
翌{{jdate|2003|7}}、辻元及び辻元の元秘書2人、土井党首の元秘書でこの[[詐欺|公金詐欺]](名義貸し)の指南役だった五島昌子の計4名が[[警視庁]]に[[逮捕]]された。詐欺容疑で起訴された辻元は{{jdate|2004|2}}、懲役2年・[[執行猶予]]5年の[[有罪判決]]を受けた。なお辻元は公金の横領について「一種の[[ワークシェアリング]]と弁明していたが、有罪確定後も法廷外で自らの犯罪行為を否認し続けている<ref>「私の事件、メディアによる二次被害、三時被害みたいなのを今もやられてるからね」週刊新潮2005年10月13日号</ref>
 
[[留置場]]で辻元は取り調べを受けた検事から「検察の中にはあなたに消えてほしいと思っている人がいるんですよ」「一切の社会的活動をやめた方がいいということです」と言われている。<ref>辻元清美著『へこたれへん』角川書店 2005.8.20</ref>
 
詐欺容疑で起訴された辻元は罪状を認め、{{jdate|2004|2}}、懲役2年・[[執行猶予]]5年の[[有罪判決]]を受けた。
[[政策担当秘書]]の名義借りについては、元国会議員が実刑に処せられた先例も2例あるにも関わらず、辻元の件で執行猶予が相当とされた理由について、担当裁判長は「(辻元は)被害弁償を済ませていること。・・・国会議員に初当選した直後であり、知人で年長議員秘書を務めた被告人渡邊(五島)の薦めに乗ってしまった面がないわけではないこと、・・・マスコミ関係者から執拗な取材攻勢を受けるなど、相応の社会的制裁を受けていること、・・・NPO法、児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律等の議員立法に尽力し、市民感覚を政治に持ち込んだなどと評価も受けていたこと、多数の知人・友人が寛大な処分を求める旨証言又は書面により訴えており、今後の更正への協力が期待できる親族や知人もいること」と述べており、「(辻元に)余罪がなく、個人的用途に私用する意図まではなかった」として「犯情に違いがある」という判決を下している<ref>辻元清美著『へこたれへん』角川書店 2005.8.20</ref>。
 
=== 復帰 ===
[[有罪判決]]に伴う刑の執行猶予中であった{{jdate|2004|7}}、辻元は[[第20回参議院議員通常選挙]]に[[大阪府選挙区]]から[[無所属]]で立候補したが、次点で落選した(全国最高得票数落選者)。
 
{{jdate|2005}}の[[第44回衆議院議員総選挙]]では社民党公認で出馬し、大阪10区では[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]の[[松浪健太]]に敗北したが、[[重複立候補]]していた[[比例近畿ブロック]]で復活し、3選を果たす。{{jdate|2009}}の[[第45回衆議院議員総選挙]]では前回敗れた松浪を大阪10区で破り([[民主党_(日本 1998-)|民主党]]は選挙協力により、大阪10区に候補者を擁立しなかった)、4選。選挙後の同年9月、女性初の党[[国会対策委員会|国会対策委員長]]に就任した。
 
三党連立政権の発足時には水面下での交渉を担当したとされ、辺野古基地建設を「見直し」対象とする連立政権合意を成立させた。民主党幹部は「連立協議表向きの交渉の裏で、社民党の辻元清美がぎりぎり詰めてきた」と述懐している<ref>朝日新聞『ポリティカにっぽん』「民社国政権発足」2009.9.17</ref>。
 
=== 国土交通副大臣 ===
{{jdate|2009|9}}に発足した[[民社国連立政権]]の[[鳩山由紀夫内閣]]において、[[国土交通大臣]][[前原誠司]]から要請を受け、[[国土交通副大臣]]に就任する。国会対策委員長の職にあった辻元は当初、党務に携わるため就任の要請を固辞したが、社民党党首の[[福島瑞穂]]が既に[[閣議]]で辻元の国交副大臣就任を含む政務三役の人事案に同意し署名していたため、最終的に辻元は[[国土交通副大臣]]就任を受け入れた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090920/stt0909201806007-n1.htm 副大臣就任に「やだ、やだ、やだ!」社民ドタバタ劇に民主が溜息] 産経ニュース 2009.9.20</ref>。あわせて国対委員長を辞任し、同職は[[重野安正]]社民党幹事長が代行し<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090924/stt0909241532007-n1.htm 社民、辻元副大臣に代わり重野幹事長が国対委員長を代行] 産経ニュース 2009.9.24</ref>、辻元は翌{{jdate|2010|1}}、正式に国対委員長を辞任した(後任は[[照屋寛徳]])。国対委員長辞任後、新たに設けられた社民党特命常任幹事に就任し、党執行部には残留している。
 
なお[[国会議員]]時代の[[刑事事件]]で[[有罪判決]]を受けた者が刑の効力が失われた後に行政府の役職に就くのは、{{jdate|1997}}に[[第2次橋本内閣改造内閣|第2次橋本改造内閣]]で[[総務庁長官]]に就任した[[佐藤孝行]]以来12年ぶり。
 
[[JAL]]問題では、JAL再建対策本部事務局長として再建の道筋をつけた。JALの破綻はこれまで日本が経験したことのない国際大型倒産である、という認識から政府内や[[メガバンク]]との調整にまわり、メガバンクとの会談では「いま、ここにいる人が大喧嘩したら日本の経済に大打撃を与えます。みなさんが鍵を握っているのです。100%納得するのはありえないでしょうから、歩み寄ってほしいのです」と語りかけた。同席した大塚耕平金融担当副大臣は辻元の交渉を「タフネゴシエーターだった」と評価している<ref>大鹿靖明・著『堕ちた翼――ドキュメントJAL倒産』朝日新聞出版、2010.4.30</ref>。
観光立国推進本部事務局長として、中国人旅行者のビザ取得要件(所得制限)を緩和させ、訪日旅行者数の大幅増に寄与した。
「戦後最大の労働問題」といわれたJR不採用問題では、担当副大臣として24年目の和解を成立させた。
セーフティ・ネットワーク実現チームの副主査として、居住セーフティネットやパーソナル・サポート・サービスの実現にとりくんだ。
その他、緊急雇用対策本部メンバー、地球温暖化「鳩山タスクフォース」メンバー。
 
 
{{jdate|2010|2|4}}、[[国土交通省]]が関連する公共事業の予算配分に関する情報を民主党の地方組織に漏洩させた[[馬淵澄夫]]国土交通副大臣の更迭を求めた自民党に対し、「(自民党は)過剰反応している」と退けた<ref>辻元副大臣、予算配分伝達の馬淵氏の更迭要求は「過剰反応」 - 産経新聞 2010年2月4日 [http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100204/plc1002042105020-n1.htm]</ref>。
 
{{jdate|2010|5}}、[[沖縄県]]の[[普天間基地代替施設移設問題]]で、日米の政府間合意に閣議決定で反対し署名を拒否した[[内閣府]][[特命担当大臣]]の[[福島瑞穂]]が[[鳩山由紀夫]]首相に閣僚を[[罷免]]され、社民党も連立政権からの離脱を決定。辻元は5月31日、[[前原誠司]]国交相に辞表を提出し、副大臣を辞任した。辞表提出後のインタビューで、手がけた道半ばで本当は辞めたくなかったと涙ながらに語った。
 
連立離脱について辻元は「鳩山政権離脱という選択が良かったのかどうかは、迷う。離脱することによって、自民党政権が復活したり、改憲への道が開けたりする恐れがあるねん。肝心の普天間基地の問題かって、どうしようもないカッコ悪さに耐えながら、政権に残っていた方が余地が大きかったんと違うかなあ。『地獄への道は善意で干そうされている』という言葉があるように、正しい選択が正しい結果を導くとは限らんやろ」と述べ<ref>朝日新聞「耕論」2010.6.4</ref>、「当時、日米合意があっても沖縄の合意がなければ辺野古移設は実現しないという閣議決定はできないか、と折衝していました。私はその歯止めができないかと考えていたんです」と明らかにしている<ref>『[[AERA]]』「[[福島瑞穂]]VS辻元清美」2011.9.26号</ref>。
 
=== 離党 ===
{{jdate|2010|7}}、「現実との格闘から逃げずに国民のための仕事を一つずつ進めていきたい」<ref>つじともweb「私の離党届提出について」2010.7.27 http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/07/27-2007.html </ref>として、社民党を[[離党]]する意向を表明。7月26日夜に重野安正幹事長と会談し、その席で離党の意向を伝えた。
{{jdate|2010|7}}、「これからは「[[通販生活]]」読者のような[[中産階級]]の受け皿となる政治勢力が必要」として、社民党を[[離党]]する意向を表明<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010072600886 社民・辻元氏、離党の意向] 時事通信 2010年7月26日閲覧</ref>。7月26日夜に重野安正幹事長と会談し、その席で離党の意向を伝えた。7月27日の午前中には福島党首から離党を思い留まるよう慰留されるも、福島の説得を受け入れず、次の衆議院議員選挙には無所属で出馬する考えを表明。社民党は[[8月19日]]、離党届を受理し、[[除名]]などの処分は行わなかった。これは、地元の党大阪府連合の意向に沿ったものである<ref>『朝日新聞』8月19日 [http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY201008190344.html 辻元議員の離党届受理 社民、除名処分は見送り 2010年8月19日17時54分]</ref>。
 
7月27日の午前中には福島党首から離党を思い留まるよう慰留されるも、福島の説得を受け入れず、次の衆議院議員選挙には無所属で出馬する考えを表明。
 
福島党首との面談が茂野幹事長との会談の翌日となったことについては、「参院選が終わってすぐに事務所を通じて面会のお願いはしていたんです。離党を決める前に一度は議論したかったから。決めようとした日程が2度キャンセルになって、その後も時間を合わせようとしましたが『当分忙しくて会えない』。私から本人の携帯に直接電話してもつながらなかった。・・・会ったときに確認したら『体調が悪かった』と言っていました。・・・幹事長と4時間ぐらい話した後、遅くに福島さんから電話があって『党を離れようかと思う』とお伝えしました。次の朝もかかってきて『どこかで会えないか』と言われたので参院議員宿舎まで福島さんに会いにいったのです。・・・もう離党する決意は固まっていました」と語っている。<ref>『AERA』「体重5キロ減りました」2010.8.9号</ref>
 
社民党は[[8月19日]]、離党届を受理し、[[除名]]などの処分は行わなかった。これは、地元の党大阪府連合の意向に沿ったものである<ref>『朝日新聞』8月19日 [http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY201008190344.html 辻元議員の離党届受理 社民、除名処分は見送り 2010年8月19日17時54分]</ref>。
 
=== 民主党入党 ===
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=== 内閣総理大臣補佐官(災害ボランティア活動担当) ===
* {{jdate|2011|3|13}}、[[東日本大震災]]を受け、災害ボランティア活動担当の[[内閣総理大臣補佐官]]に就任。
* {{jdate|2011|5|10}}、自民党の[[山谷えり子]]から提出された『災害ボランティア活動担当の辻元補佐官の活動に関する質問主意書』<ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/syuh/s177134.htm 参議院]2011年4月27日</ref>に対して、政府は東日本大震災の発生から5月10日までの間に辻元が岩手、宮城、福島の被災地3県を訪れたのは計6日間、震災ボランティア連携室全体における出張旅費等の総計は114万円とする答弁書を閣議決定した<ref>[[産経新聞]] 政府答弁書「辻元氏の被災地入りは計6日間、出張旅費は114万円」[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110510/plc11051011300008-n1.htm]</ref><ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/touh/t177134.htm 参議院]2011年5月10日</ref>。
これを[[産経新聞]]が、「締めて6日間114万円ナリ 辻元氏被災地入り費用」と報じた<ref>産経新聞 政府答弁書「辻元氏の被災地入りは計6日間、出張旅費は114万円」http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110510/plc11051011300008-n1.htm</ref>ことから政府は抗議した。<ref>つじともweb「産経新聞に申し入れ」2011.5.10 http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2011/05/10-2145.html</ref>
 
* 震災発生後、「今回の震災で、辻元清美が『事前協議なしの着陸は安全を無視した行為』と米軍の救援活動に抗議した、とNHKで流れた」「今回の震災で、辻元清美が『重機で十分。災害出動に戦車不要』と原発内の瓦礫除去に戦車投入に反対した」「かつて阪神・淡路大震災の際に、自衛隊反対のビラを配っていた」「ピースボートが意図的に物資を止め、横流しをしている」といった流言がネット上に流れたが、ソースが示されることはなく、すべてについて辻元やピースボート、[[梅沢富美男]]氏など関係者は公式に否定している<ref>[[荻上チキ]]・著『検証 東日本大震災の流言・デマ』光文社、2011.5.2</ref>。
 
 
* {{jdate|2011|7|30}}、東日本大震災津波ボランティア連絡会議を開催。
* {{jdate|2011|9|5}}、野田内閣の発足をうけ、首相補佐官を退任。
 
== 政策・思想 ==
* 1期目のとき、特定非営利活動促進法(NPO法)、[[被災者生活再建支援法]]、情報公開法、児童買春・ポルノ禁止法などに取り組み成立させる。
* 鳩山政権では、運輸・交通・観光・危機管理・気象担当の国土交通副大臣として、[[羽田空港]]のオープン化に取り組み、交通基本法制定に向け全部局が参加する省内検討会を設置。「そのなかで自転車も公共交通に位置づけていく」としている<ref>つじともweb「交通基本法」 http://www.kiyomi.gr.jp/vision/04.html</ref>。
* 2011年6月、超党派のNPO議員連盟幹事長として、全会一致によるNPO法の大幅改正、新寄付税制の成立に寄与。NPO法改正は通常国会で議員達の活躍を評価する「国会『三賞』」に選ばれた。<ref>朝日新聞「政治考」、2011.9.30</ref>
* 菅政権では内閣官房につくられた「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム座長代理として、元「[[年越し派遣村]]」村長の[[湯浅誠]]氏らと緊急提言を作成、提出。
* [[天皇制]]の廃止、女性首相の実現、[[日米安保条約]]の廃棄の3つを主張している<ref name="gokenosaka">憲法公布54周年-憲法を守り暮らしに生かす-護憲の集い 「憲法調査会の議論について」[http://homepage2.nifty.com/goken-osaka/1027zdoi.htm]</ref>。
* 「天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。財団法人でも宗教法人でもいいけど。そして、皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかをつくり、アジアの留学生を呼ぶという計画を立てている」とする<ref name="gokenosaka"/>。
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== 発言 ==
* {{jdate|1992}}
** カンボジアでPKO活動中の自衛官に向かって「自衛隊内で[[コンドーム]]を配っているとか。(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるのでしょう」<ref>『宮嶋茂樹著「ああ、堂々の自衛隊」(1997年6月、双葉社発行)</ref>と発言したと報じられたが<ref>産経新聞「政論」、2011.3.21</ref>、引用元には辻元の発言として当該する記述はなく、辻元自身もホームページで「この非常時に公器としての報道機関がデマを拡散させたことに、厳重に抗議いたします」と否定している。<ref>つじともweb「辻元清美に関するデマについて」2011.3.23 http://www.kiyomi.gr.jp/news/2011/03/23-2132.html</ref>
* {{jdate|2000}}
** 「本当のことを言えば、1条から8条はいらないと思っています。[[天皇制]]を廃止しろとずっと言っています。(略)[[日本国憲法]]は9条から始め、[[天皇]]は[[伊勢]]にでも行ってもらって、[[特殊法人]]か何かになってもらう。」<ref>『憲 法公布54周 年-憲法を守り暮らしに生かす-護憲の集い(2000年10月27日)』におけるパネラーとしての発言</ref>
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== エピソード ==
* {{jdate|2005}}、親交のある社会活動家で女性問題に取り組む[[北原みのり]]が経営する[[大人のおもちゃ|アダルトグッズ]]専門店が、東京・[[渋谷]]のライブハウスで開催した女性限定のイベント「女祭」<ref>http://www.lovepiececlub.com/lovepiececlubnight2005.html</ref>に、ゲストとして参加した。北原の店では女性向け性具である[[バイブレータ (性具)|バイブレータ]]等販売されいるがおり辻元は自らの当イベントでゲストにサイン入りの[[大人のおもちゃ]]競売もらってオークションにかけたいと北原に頼まれた辻元はサインに応じた。<ref>週刊新潮 2005年10月13日号</ref>。のちに、該当の品を落札したのが週刊新潮の女性記者であったことを、北原が著書で明かしている<ref>北原みのり・著『アンアンのセックスできれいになれた?』朝日新聞出版、2011.8.30</ref>。
 
* [[鈴木宗男事件]]では衆議院議員・[[鈴木宗男]]を激しく追及したが、その後、{{jdate|2009}}に国会で「(事件の)裁判でもその事実(自身が追求したアフリカODA疑惑等)は出ておらず、確証がなかった。そのような言葉遣いをしたことを反省している」と陳謝、同事件で鈴木が一二審有罪とされていることについては、「(同事件が)係争中であるため、申し上げる立場にない」とコメントしている<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/173/0005/17311180005002a.html 衆議院外務委員長 2009年11月18日議事録]</ref>。
* [[朝まで生テレビ!]]で共演し、たびたび辻元と議論した[[小林よしのり]]は、自身の著作である[[ゴーマニズム宣言]]で辻元を何度も登場させている。{{jdate|1999}}に[[西村真悟]]防衛政務次官が[[核武装]]発言をした際に、西村真悟から辻元へ私的な会話([[オフレコ]]発言)として「核武装や防衛に反対している社会民主党議員は[[アホ]]である。核武装などの抑止力がなかったら自分たち男性はみんな強姦魔になっている。有事の際に辻元など社会民主党の女性議員が[[強姦]]をされていても助けてやらないぞ」の強姦と核抑止を関連付けた発言があり、社民党の女性議員が抗議したエピソードを、ギャグ漫画として[[10月8日]]発売の[[新・ゴーマニズム宣言]]7巻で辻元が国会内でビラをばら撒き「女性だって[[陰核]]兵器があるのよ」と西村真悟を逆[[レイプ]]をするストーリーを描き、{{jdate|2009}}の[[天皇陛下御在位二十年記念式典]]で、天皇から招待されて辻元が国土副大臣として出席していたが、小林よしのりが同席していた辻元清美を発見した際に、「[[日本国憲法]]の記述で出席したのよ」と説明した会話がゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論内の[[エピソード]]として描かれている。
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* [http://www.kiyomi.gr.jp/ つじともWEB:辻元清美オフィシャルサイト]
* [http://www.kiyomi.gr.jp/blog/ 辻元清美ブログ: つじともWEB]
 
* [http://gree.jp/tsujimoto_kiyomi/ 辻元清美 グリー・ブログ]
 
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