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Hatsune (会話 | 投稿記録)
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[[唐]]で徐州節度使配下の軍職(軍中少将)を得て、帰国。その後、全羅南道莞島を拠点としてを討ち、清海鎮大使として[[東シナ海]]・黄海海上を制覇した。一方で日本・唐・新羅の三国間の貿易を統括して富を築いた。[[840年]](承和7年)日本への朝貢を拒否されたが、北九州の官人や入唐僧などと貿易を通じて深くかかわっていた。同じ頃新羅の王位継承争いにかかわり、[[839年]]清海鎮に身を寄せていた金祐徴(きんゆうちょう)とともに閔哀王を討ち、神武王の擁立に成功し、鎮海将軍に任じられた。閔哀王の子文聖王に娘を嫁がせようとして失敗、自ら反乱をおこしたが、鎮圧され殺された。
 
[[category:朝鮮史の人物|ちょうほうこう]]
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[[category:841年没|ちょうほうこう]]