「岸里玉出駅」の版間の差分

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→‎駅構造: 1965年当時の当駅付近の写真による。
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1・2番ホームはかつて「岸ノ里駅」であった時代から、地平上に存在した南海本線を跨ぎ越して汐見橋線と直通していた(そのため、高野線上り各停と汐見橋行き列車は縦列停車をしていたことから、同一ホーム上で乗り換えが出来た)ため、[[阪堺電気軌道阪堺線|阪堺線]]とともに駅ホーム全体が勾配上にある。これは、「岸里玉出駅」となって以降、高野線が当駅以北高架上を通る構造となった関係上、現在も変わっていない。
なお、地平時代(1984年までの)の汐見橋線のホームは南海本線をまたぐ鉄橋のすぐ東側にあり、難波発着の高野線電車は1970年11月にホームが設置される迄各駅停車も通過扱いだった(その代わり汐見橋線の電車が住吉東まで運転されていた)。
 
ホームは3階、コンコース及び連絡通路は2階にある。改札口は難波寄りの岸里口、和歌山市寄りの玉出口の2ヶ所。高野線ホームの高野山寄りには改札口はない。かつて汐見橋線のホームが独立していた時は高野山方にもあったのだが、汐見橋線が南海線の横に停車するようになってから閉鎖された。また、玉出口から高野線及び汐見橋線に乗る場合は、南海線ホームを経由して岸里口側に廻る必要がある。なお、改札口は1998年10月に[[自動改札]]化されたが[[ピクトグラム]]は未だに係員改札の表示となっている。