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1952年、[[中河内郡]]盾津町(現[[東大阪市]]南鴻池町)へ居を移し、幼稚園から社会人に至るまでその地で育つ。少年時代の靑史は、野球、魚釣り、昆虫採集が好きなアウトドア派で、父と違ってあまり活字に親しむことはなかったという。邦雄を訪ねてきた[[寺山修司]]や[[福島泰樹]]を駅まで迎えに行ったり、[[三島由紀夫]]からの手紙をメイルボックスから取り出した青少年時代の経験が、後日文筆に目覚めた動機になっているらしい。
 
[[大阪府立清水谷高等学校]]ではバスケットボール部に所属。[[同志社大学]][[文学部]]時代には同人誌『ゐまあごを』に参加し、イラスト作品を発表する。大学卒業後、京都に本社を置く[[日本写真印刷]](株)]]へ勤務する。1977年、東京支社へ異動となり、以後は千葉県に在住。勤務のかたわらイラストレーターとしても活動し、1978年と1981年の『年鑑日本のイラストレーション』(講談社)に作品が掲載されている。
 
1989年「[[小説推理新人賞]]」([[双葉社]]主催)の最終候補となる。1991年、候補作も含めたミステリ短編集『迫迫』に8篇分の扉絵を配して花曜社から出版。靑史は、この一冊で小説家としての地歩を固めた。また、[[中国史]]などを取材した歴史小説も手掛け、1996年の『霍去病』([[河出書房新社]])が話題になり、文壇にデビューを果たした。1999年3月、日本写真印刷(株)を退職。2000年、父の看病のため東大阪へ帰省(邦雄は2005年6月9日没)。その後、精力的に作品を発表する。
 
== その他 ==