「第一次エチオピア戦争」の版間の差分

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==背景==
当時、アフリカ唯一の独立国と呼ばれたエチオピアは[[ラス]]と呼ばれる地方軍閥による反乱と王位簒奪が繰り返される時代を迎えており、周辺国([[スーダン]]など)との戦争も行われていた。加えて[[テオドロス2世 (エチオピア皇帝)|テオドロス2世]]の時代にイギリス軍との[[マグダラの戦い]]に敗れ、ヨハンネス4世の時代にはイタリア王国との間で[[エリトリア戦争]]が勃発、[[エリトリア]]を実効支配されるなど海外勢の侵略も本格化していた。
 
そんな中、エチオピア帝国の属国であった[[ショア王国]]の[[メネリク2世]]はエリトリアのイタリア駐屯軍の支援を受けて対立する勢力を破り、ティグレ地方・アムハラ地方を征服して1889年3月25日にエチオピア皇帝へ即位した。5月2日、メネリク2世はイタリアとの友好条約([[ウッチャリ条約]])を締結した。その条約はエチオピアが既に占領されている[[エリトリア]]の割譲を認め、代わりにイタリア側が引き続いてメネリク2世の新政権を支援するという内容であった。