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{{Infobox 芸術家
[[ファイル:Frans Hals 002.jpg|thumb|200px|right|陽気な酒飲み1628-30 アムステルダム国立美術館]]▼
| name = フランス・ハルス</br>Frans Hals
| image = Hals - Self-Portrait copy.jpg
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| caption = フランス・ハルスの自画像の複製画
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| birthdate = 1580年頃
| location = [[アントウェルペン]]
| deathdate = [[1666年]][[8月26日]]
| deathplace = [[ハールレム]]
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'''フランス・ハルス'''('''Frans Hals''', [[1581年]]/[[1585年]]頃 - [[1666年]][[8月26日]])は、[[17世紀]]の[[オランダ]]で活躍した[[画家]]。
ハルスは、[[オランダ黄金時代の絵画|オランダ絵画の黄金時代]]を代表する画家の1人で、[[レンブラント・ファン・レイン|レンブラント]]よりはやや年長ながら、ほぼ同時代に活躍している。オランダの[[ハールレム]]で活躍し、作品にはハールレムの住人を描いた肖像画が多い。人々の生き生きとした表情を捉える描写力は卓越している。笑っている人物画を多く描いたことから「笑いの画家」と呼ばれている。代表作の
かつてオランダで発行されていた10[[ギルダー]]紙幣に肖像が使用されていた。
== 人生 ==
フランス・ハルスの人生の詳細は、かなり正確に伝わっている。彼は1582年または1583年に[[アントウェルペン]]で生まれた。父は[[カトリック教会|カトリック]]教徒であったと思われる。1585年頃、当時の[[フランドル]]の多くの住民がしたように、家族は[[ハールレム]]へ移り住む。
ハルスは27歳になってようやく
ハルスは1666年、84歳で死去したとされる。フローテ・マルクト (Grote Markt) 中央広場にある古バーヴォ教会 (Bavo Church) に埋葬された。
ハルスの弟[[ディルク・ハルス]]も画家である。また、ハルスの息子のうち[[:en:Harmen Hals|Harmen Hals]]、[[:en:Frans Hals Junior|Frans Hals Junior]]、[[:en:Jan Hals|Jan Hals]]、[[:en:Reynier Hals|Reynier Hals]]、[[:en:Nicolaes Hals|Nicolaes Hals]]の5人が画家となった。
== 業績 ==
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時に彼の作品は、グレーやピンクの下塗りの上にチョークや絵具でデッサンされ、そこからさらに多彩な、あるいは必要最小限の色を徐々に加えて描かれた。初期の頃から才能を発揮していたハルスは、ほとんどの場合下塗りを大雑把に済ませている。この手法は、彼のやや後期の円熟期の作品に見られる。
ハルスは、持ち前の多才さに素晴らしい大胆さと度胸と技巧を併せて発揮し、肖像画の対象となった人物が存命中にすばやく描き上げた。言うなれば、同年代の画家が遅筆であったのと異なり、彼の肖像画によって死ぬ者はいなかった。依頼主からの要求があろうがなかろうが、彼の絵画には対象人物が正確に内面まで描ききれていた。彼の最初の研究者であるシュレヴェリウス (Schrevelius) による17世紀の著書 'Een onghemeyne [ongewone] manier van schilderen, die hem eyghen is, by nae alle [iedereen] over-treft' (他を凌駕するハルスの並外れた絵画手法) で、ハルスの絵画手法が分析されている。デッサンから描き出す計画的な描画手法は、既に16世紀のイタリアに存在していたため、ハルス自身のアイデアではないようだ。ハルスはおそらく、ベルギーのフランダース地方の同年代の画家たち、すなわち[[ルーベンス
== 代表作 ==
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