「タウフィック・ヒダヤット」の版間の差分

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=== 2001年~2004年 ===
*2001年には初めてベスト4に進出したセビリア世界選手権で準決勝の試合中に突然倒れ、そ怪我ままため棄権となったことがあった。
*2002年には母国開催のインドネシアオープンで2年ぶり・3回目の優勝を果たす。韓国の釜山で行われたアジア大会では、個人戦(男子シングルス)で金メダルを獲得。
*2003年は膝などの故障で低迷し苦しい時期があったが2003年半ばには体調も回復し、優勝こそないものの五輪出場に必要な最低限のポイントは稼ぎつつ、本番に向け順調に調整を進めるようになる。