「ハンティ・マンシ自治管区・ユグラ」の版間の差分

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== 住民 ==
[[{{仮リンク|ハンティ人]]|en|Khanty people|label=ハンティ人}}[[{{仮リンク|マンシ人|en|Mansi people|label=マンシ人]]}}は言語の上では[[ハンガリー人]]に近く、[[フィン・ウゴル]]系の民族である。しかしながら、人口の大部分は[[ロシア人]]であり、ハンティ人とマンシ人の占める割合は小さい。これは、油田が発見された後に、多くのロシア人が流入した結果である。
 
== 歴史 ==
この地域は、もともと'''ユグラ'''と呼ばれていた。[[12世紀]]から[[13世紀]]に[[ノヴゴロド]]の商人たちが交易のために訪れるようになる。[[1582年]]、[[イェルマク]]により征服され、[[ロシア]]の支配下に入った。[[1930年]][[12月10日]]に'''オスチャク・ヴォグル自治管区'''として設置され、[[1940年]]にハンティ・マンシ自治管区と改称された。
 
== 経済 ==
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== 都市 ==
行政の中心[[ハンティ・マンシースク]](人口は約4万人)のほかに、最大の都市[[スルグト]](約30万人)、[[ニジネヴァルトフスク]](約25万人)、[[{{仮リンク|ネフチェユガンスク]]|en|Nefteyugansk|label=ネフチェユガンスク}}(約12万人)、[[ラードゥジヌイ (ハンティ・マンシ自治管区)|ラードゥジヌイ]](約4万人)などがある。
 
== 外部リンク ==