「吉美侯部」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Bokka7568 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
'''吉美侯部'''(きみこべ)または'''吉弥侯部'''(きみこべ)は[[古代]][[日本]]において服属した[[蝦夷]]([[俘囚]])からなる[[部民]]で、[[出羽国]]・[[陸奥国]]の両国および[[上野国]]・[[下野国]]などに多く分布する[[氏]]の名であと考えられている。
 
[[六国史]]([[記紀]])には'''吉弥侯部'''や'''吉弥侯'''を氏とする人物の記述が時折見られ、その多くが[[俘囚]]や賊首、賊主とされており、実際には「[[陸奥国]][[俘囚]]」、「陸奥国賊首」、「[[出羽国]]俘囚」、「[[常陸国]]俘囚」、「[[甲斐国]]俘囚」、「甲斐国賊主」、「[[越中国]]俘囚」、「[[摂津国]]俘囚」、「[[播磨国]]俘囚」、「[[伊予国]]俘囚」、「[[安芸国]]俘囚長」、「[[因幡国]]俘囚」、「[[出雲国]]俘囚」、「[[豊前国]]俘囚」、「[[豊後国]]俘囚」と記されているが、その殆どは何らかの功を挙げ位階を賜った記事となっている。これらの人物の中には、[[尾張国]]や[[駿河国]]、[[阿波国]]へ移配された者もあったことが記されている。
 
同記紀には「陸奥国人」や「出羽国人」、「常陸国人」、「[[下野国]]人」、「伊予国人」、「豊後国人」、「[[肥前国]]人」ほか「吉弥侯何某の女」などとされる「吉弥侯部氏」「吉弥侯氏」も見られるが、「人」や「女」と書かれている場合は吉弥侯部氏や吉弥侯氏出自の人物を高評し(「女」の場合は夫への貞操を尽くしたことを礼賛し)、勲等や姓を賜わったという記事となっている。
 
陸奥国の吉弥侯部氏や吉弥侯氏出自の人物が「上毛野公」や「下毛野公」、「物部連」の賜姓を受けたという記事も見られるが、これは[[天皇]]より出兵の[[勅]]を受け自ら兵を率い陸奥国や出羽国の平定に携わることが多かった「[[毛野氏|上毛野]]朝臣」(上野国国造家)や「[[毛野氏|下毛野]]朝臣」(下毛野国国造家)、「[[物部氏|物部]]朝臣」(軍事氏族)などに投降した蝦夷の俘囚が多くおり、俘囚を管理する[[官人]]の奏上により俘囚であっても人物には[[天皇]]より姓が与えられていたものと推察できる。
 
== 概略 ==