'''建部 賢弘'''(たけべ かたひろ、[[寛文]]4年([[1664年]])[[6月 (旧暦)|6月]] - [[元文]]4年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]([[1739年]][[8月24日]]))は、[[江戸時代]]中期の[[数学者]]。父は[[旗本]]の[[建部直恒]]。号を不休。
幼少から[[関孝和]]の門人となり、[[1716年]]([[享保]]元年)[[征夷大将軍|将軍]][[徳川吉宗]]の信頼を得、「て『[[日本総図]]」』を作る。関孝和の業績の解説書を複数著作すした。例えば[[沢口一之]]の『[[古今算法記]]』の遺題(未解決問題)を自らの創始した[[点竄術]]を駆使して解決し、その結果を『[[発微算法]]』に纏めている。しかし本書は省略が著しく多く理解が困難で、特に[[関西]]の数学者から正当性に疑いの声が上がっていた。建部は『[[発微算法演段諺解]]』で[[変数 (数学)|変数]]消去の過程を丁寧に解説し、その不備を補った。また関孝和と兄の[[建部賢明]]ら3人で著作した『[[大成算経]]』全20巻は、当時の[[和算]]の集大成となる労作である。
独自の業績としては 、[[円周率]]に関連した一連の [[研究 ]]が最も重要で、後 のに[[円理]]の発展の基礎になった。まず 、古来からある [[正多角形 ]]で [[円 (数学)|円]]を [[近似 ]]する方法に 「累遍増約術 」(Richardson補外)を適用し、円周率を41桁まで正しく求めた。 そのため、関孝和の 計算手法に くら比べて遥かに少ない [[計算 ]]で [[精度 ]]を大いに改善している。これは 、世界的にみても数値的加速法の最初期の例である ことのは間違い がない。なお 、[[ルイス・フライ・リチャードソン]] によるが同 手じ方法 のをリチャードソン補外として提案 するのは1910年ごろである。 ▼
例えば、関は[[沢口一之]]の[[古今算法記]]の遺題(未解決問題)を自らの創始した[[点竄術]]を駆使して解決し、結果を[[発微算法]]として出版している。しかし、本書は著しく省略が多く理解が困難であり、特に関西の数学者からは正当性に疑いの声が上がっていた。建部は[[発微算法演段諺解]]で変数消去の過程を丁寧に解説し、その不備を補った。また、関孝和と兄の[[建部賢明|賢明]]ら3人で著作した「[[大成算経]]」20巻は当時の和算を集大成した労作である。
次に 、兄の賢明の発見した零約術( [[連分数 ]]展開)を用い て、 円周率のきわ極めて精度 のがよい 円周率の近似 [[分数 ]]を見出した。また 、微小な円弧の [[長さ ]]をその矢の長さで数値的に [[冪級数 ]][[多項式の展開 |展開]]した。この際、 [[数値解析|数値計算 ]]で え得た [[係数 ]]を零約術で処理 することでして、正しい係数に たど辿り着い たている(『綴術算経』([[1722年]](享保7年))。これは 、[[三角関数#逆三角関数|逆三角関数]] arcsin< mathsup> (arcsin)^2</ mathsup> の無限級数展開に相当するが、円弧の長さを計算する[[アルゴリズム]]という方が実態に近い。後に この数値的結果を不完全な論法ながら、 この数値的結果を正当化した (。これは和算初の冪級数展開で、後の関流での円理の発展の基礎となった。ちなみに同じ結果を[[レオンハルト・オイラー]]が得たのはその15年後 )である。 これは、また同じ1722年に京阪の和算 家[[鎌田俊清]]が『宅間流円理』で 得られた最初 sin, arcsin の べき冪級数展開 でを発表しているが、 後両者の 影響関 流係は不明で の円理の発展の基礎となったある。 ▼
▲独自の業績としては、[[円周率]]に関連した一連の研究が最も重要で、後の[[円理]]の発展の基礎になった。まず、古来からある正多角形で円を近似する方法に「累遍増約術」(Richardson補外)を適用し、円周率を41桁まで正しく求めた。そのため、関孝和の計算にくらべて遥かに少ない計算で精度を大いに改善している。これは、世界的にみても数値的加速法の最初期の例であることは間違いがない。なお、[[ルイス・フライ・リチャードソン]]による同手法の提案は1910年ごろである。
その他、指数1/2の [[二項定理|二項級数 を示したり、]]や[[ アレクサンドリアのディオファントス |ディオファントス]]の不定方程式 ]]の近似解法を示 したりすなど、 すぐ優れた業績を残している。 ▼
▲次に、兄の賢明の発見した零約術(連分数展開)を用いて、円周率のきわめて精度のよい近似分数を見出した。また、微小な円弧の長さをその矢の長さで数値的に冪級数展開した。この際、数値計算でえた係数を零約術で処理することで、正しい係数にたどり着いた(『綴術算経』([[1722年]](享保7年))。これは、<math>(arcsin)^2</math>の無限級数展開に相当するが、円弧の長さを計算する[[アルゴリズム]]という方が実態に近い。後にこの数値的結果を不完全な論法ながら、正当化した(同じ結果を[[レオンハルト・オイラー]]が得たのはその15年後)。これは、和算で得られた最初のべき級数展開で、後の関流での円理の発展の基礎となった。
彼はまた、和算家には めずら珍しく [[数学 ]]の方法論についても多くを論じている。上述の『綴術算経』 では数値計算と [[帰納 法]]に基づいた数学の方法論を示し、また [[無限 ]]の概念を「不尽」という言葉を用いて考察している。 ▼
なお、同じ1722年、京阪の和算家[[鎌田俊清]]が『宅間流円理』で<math> sin(x), arcsin(x)</math>のべき級数展開を発表しているが、両者の影響関係は不明である。
現在[[日本数学会]]では、若手の数学者を対象とする建部賢弘特別賞 、・建部賢弘奨励賞(通称「建部賞」)を設けている。 ▼
▲その他、指数1/2の二項級数を示したり、[[アレクサンドリアのディオファントス|ディオファントス]]の不定方程式の近似解法を示したりなど、すぐれた業績を残している。
▲彼はまた、和算家にはめずらしく数学の方法論についても多くを論じている。上述の『綴術算経』は数値計算と帰納法に基づいた数学の方法論を示し、また無限の概念を「不尽」という言葉を用いて考察している。
▲現在[[日本数学会]]では、若手の数学者を対象とする建部賢弘特別賞、建部賢弘奨励賞(通称「建部賞」)を設けている。
== 著書 ==
* 『日本総図』
* 『大成算経』
* 『研幾算法』
* 『綴術算経』(1722)年)
== 参考文献 ==
:*現在以下の著作がある。
*小川束、佐藤健一、竹之内脩、森本光生『建部賢弘の数学』 ([[共立出版]]、2008年 ) - 現代数学に置き換えた章もある
* 佐藤健一編著『建部賢弘の「算歴雑考」 日本初の[[三角関数]] [[数表 |表]]』 (研成社、1995年) - リプリント版が入っている▼
:小川束、佐藤健一、竹之内脩、森本光生共著、現代数学に置き換えた章もある。
*[[上野健爾]]、砂田利一、新井仁之共同編集「数学のたのしみのひろがり 関孝和と建部賢弘特集」季刊<フォーラム>現代数学 2006夏号([[日本評論社]])- 2004年から2008年にかけ13号刊行。
▲*『建部賢弘の「算歴雑考」 日本初の[[三角関数]]表』
:[[佐藤健一]]編著 研成社 1995年、リプリント版が入っている。
*「数学のたのしみのひろがり [[関孝和]]と建部賢弘特集」 2006年
:季刊<フォーラム>現代数学 2006夏号、[[日本評論社]]
:上野健爾、砂田利一、新井仁之共同編集 2004年から2008年にかけ13号刊行。
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