「戚夫人」の版間の差分

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まず、戚夫人を捕らえて永巷(えいこう:罪を犯した女官を入れる牢獄)に監禁し、一日中豆を搗かせる刑罰を与えた。戚夫人が自らの境遇を嘆き悲しみ、詠んだ歌が「永巷歌」として『漢書』に収められている。
 
そして呂太后は、[[長安]]に入朝した[[劉如意|如意]]を毒殺した。呂太后は、戚夫人のいる永巷に「息子の死」を報告に行く。激怒した戚夫人は、永巷の格子から呂太后の腕を引っ張り噛んだ。腕がちぎれるほどの痛みで噛まれ、悲鳴を挙げた呂太后から付添い人が戚夫人を引き離した。その際、戚夫人は腕を骨折した。腕を噛まれたことに腹を立て、呂太后は両手の切断を命じる。しかし、その状態で、戚夫人は今度は足で呂太后の腹部を強く蹴る。腹部を蹴られヨタヨタになりながら、呂太后は両足の切断を命じる。さらに呂太后は戚夫人に怨みがましい眼差しで睨まれ、目をくり抜き、瘖薬(いんやく)を飲ませて声を奪い、聴覚を失わしめる。廃人同様になった戚夫人を厠に投げ入れ、これを「人彘(人豚)」と称して見せしめにしたという。なお、古代中国の厠は、広く穴を掘った上に張り出して作り、穴の中には豚を飼育して上から落ちてくる糞尿の始末をさせていた。[[恵帝 (漢)|恵帝]]はこれを目の当たりにしたショックで寝込んでしまい、政務を放棄して酒びたりになって体を壊し、早世してしまったという<ref>呂后(講談社),塚本青史</ref>。
 
<!--但し、この記述は呂雉の[[史書]]に記述されていただけなので実際にこのようなことを行っていたかどうか疑問点があると言われている。また、戚夫人の人物評に関しては陳瞬臣氏は『妖のある話』にて呂后の残虐行為は実際には疑わしく、惨殺し、死体を陵辱したのではと好意的。呂后寄りの発言で残虐行為を正当化する山崎純一氏と対照的。←出典があるのでしょうか?ないのならこのような憶測は不要です-->
 
==脚注==
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