「松平親貞 (大草松平家)」の版間の差分
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'''松平 親貞'''(まつだいら ちかさだ、生没年不詳)は、[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[大草松平家]]第2代当主。父は同家初代・[[松平光重 (大草松平家)|松平光重]]。弟は[[松平昌安]](弾正左衛門信貞・大草3代当主)、松平貞光(左近将監)。「左馬允」と称した。
具体的な動向を示す資料は乏しいが、[[文亀]]元年([[1501年]])の「[[大樹寺]]連判状」('''注''')に岡崎左馬允「親貞」の名があり、この時期には彼が家督を継いでいたと推測できる。また[[永正]]3年([[1506年]])から同6年にかけての[[今川氏親]]、伊勢新九郎長氏([[北条早雲]])による[[三河国|三河]]への進入の際に、あるいは戦死したことが考えられる。永正5年([[1508年]])の父「光重」の没後、永正8年([[1511年]])の「信貞」(昌安)発給文書があることとも符合する(『新編岡崎市史』2巻562項)。
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'''注''' 『新編岡崎市史』6巻752項所収の「松平一門連判状」。
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▲[[Category:松平氏|草ちかさた]]
[[Category:戦国武将]]
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