「松平忠清」の版間の差分

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慶長15年([[1610年]])、父の急死により家督を継ぐ。翌16年([[1611年]])4月、参内を済ませた家康が[[駿府]]への帰路に途中で海路を選択。同月23日には[[尾張国|尾州]]熱田から出航したが、強風で船が進まなかったために外洋へは出なかった。同月25日には三河湾の牟呂(現・[[豊橋市]]牟呂)の海岸へ漂着。そのまま近くの[[吉田城_(三河国)|吉田城]]へ立ち寄った。おかげで火急の応対に追われたという。慶長17年([[1612年]])正月13日、家康再びの[[三河国|三州]]入り。今度は駿府から[[幡豆郡]]吉良への鷹狩りのため吉田に宿泊したという。この時、忠清へは宿賃ともいうべき銀100枚が下された。その帰途の2月3日にも宿泊に立ち寄っている。
 
ところが、それからわずか2ヶ月余の4月20日忠清は急病を患いそのまま死去した。享年28。[[三河吉田藩]]は、無嗣除封となった。
 
ただし、[[竹谷松平家]]のこれまでの貢献度を鑑みた公儀は、忠清の異母弟・[[松平清昌|清昌]]に[[三河国]][[宝飯郡]][[西ノ郡]]に5000石を改めて与え、[[交代寄合]]として存続させた。
 
 
{{松平氏歴代当主|竹谷松平家}}
{{三河吉田藩主|竹谷松平氏|2代|1610- 1612}}
 
[[Category{{デフォルトソート:江戸の大名|まつたいら たたきよ]]}}
[[Category:譜代大名|まつたいらたたきよ]]
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[[Category:1585年生|まつたいらたたきよ]]
[[Category:1612年没|まつたいらたたきよ]]
 
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