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[[ファイル:Memoirs of Franklin.jpg|thumb|200px|right|[[ベンジャミン・フランクリン]]の[[1793年]]の自伝の初版の[[表紙]]]]
'''自伝'''(じでん、 Autobiography )は、人が自分自身の眼から見た自分の生涯、人生を記述したものを言う。自身による[[伝記]]。'''自叙伝'''(じじょでん)。
 
== 概要 ==
自伝の英語表記である Autobiography は、[[ギリシア語]]の αὐτός-autos (self) + βίος-bios (life) + γράφειν-graphein (to write) から由来した言葉である。
 
一般的な、他者による伝記は通常、非常に広範囲にわたる資料や視点を基にしている。しかし、自伝は、完全に執筆者である本人の記憶、回顧、回想に基づいており、資料を利用するとしても記憶の補助としてであるという点で一般の伝記とは異なっている。[[古代ギリシア]][[ローマ]]では、こうした性格の書き物を、アポロギア (apologia) と称した。本質的にそれは、内省というよりも、自分の採った政治的な言動についての自己弁明の書であったからである。[[アウグスティヌス]]は、彼の自伝的著述に「告白」( Confession 、信仰告白)という表題をつけた。[[ジョン・ヘンリー・ニューマン]]の自伝は、まさに彼の人生の自己弁明であった。[[ジャン・ジャック・ルソー]]もまたこのタイトルを踏襲した。自伝というものを一般的に広めたのは[[ベンジャミン・フランクリン]]である。
 
[[漢字圏]]では、[[前漢]]の[[司馬遷]]が「[[史記]]」で最後の章に「太史公自序」を置き、解説と自伝を兼ねた。続いて[[班固]]が「[[漢書]]」でそれを踏襲し「叙伝」を最後に置いた。
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[[ローマ帝国]]時代の弁論家[[リバニウス]] (Libanius,314-393) は、彼の弁論のひとつとして、人生の[[回顧録]](自伝)を作ったが、それは公にする類の物ではなく、自身の研究の内だけで読まれたであろう文芸的な物であった。
 
回顧録([[回想録]])と自伝とは少々異なる。自伝がその人物の「人生や生涯」に焦点を当てるのに対して、回顧録は、自身の記憶や見解および感情に重点を置いて、より狭い範囲(特定の事象や[[事件]])について述べられる。
 
近代の回顧録はしばしば、過去の[[日記]][[手紙]][[写真]]を基にしている。
 
[[1980年代]]頃までは、著名人以外が回顧録を書いたり出版したりすることは稀だった。しかし、『[[アンジェラの灰]]』や『 The Color of Water 』といった回顧録が好評を博し、多くを売り上げたことにより、多くの人々がこの[[ジャンル]]に手を染めることとなった。
 
== 自伝の研究 ==
[[20世紀]]前半の[[ドイツ]][[哲学者]]、[[ゲオルク・ミッシュ]]に『自伝の歴史』 (Geschichte der Autobiographie) という大部の研究書がある。[[1907年]]から刊行開始で、最後の巻が[[1969年]]に出ている。日本語訳はまだない。その他、[[フィリップ・ルジェンヌ]]の『フランスの自伝 自伝文学の主題と構造』(叢書・ウニベルジタス 法政大学出版局 [[1995年]])、同『自伝契約』([[水声社]] [[1993年]])など、数は多くないが、人間の自己認識の具体例として自伝を研究する動きがある。
 
== 著名な自伝 ==
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* [[私小説]]
* [[伝記]]
* [[日記]]
 
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