「島田守政」の版間の差分

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| 生誕 = [[寛永]]元年([[1624年]])
| 死没 = [[元禄]]12年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]([[1699年]][[8月7日]])
| 改名 = 利木(初名)→守政→忠政
| 別名 = 助之進、久太郎([[仮名 (通称)|仮名]]:助之進、久太郎
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 = 幽山(法名)
| 霊名 =
| 墓所 = [[埼玉県]][[坂戸市]]仲町の[[永源寺 (坂戸市)|永源寺]]([[埼玉県]][[坂戸市]])
| 官位 = [[従五位|従五位下]]下、[[出雲国|出雲]]
| 幕府 = [[江戸幕府]][[長崎奉行]]、江戸北[[町奉行|北町奉行]]
| 主君 = [[徳川家光]]→[[徳川家綱|家綱]]→[[徳川綱吉|綱吉]]
| 藩 =
| 氏族 = [[島田氏]]
| 父母 = 父:[[島田利正]]、母:不明
| 兄弟 = [[島田利世|利世]]、[[島田利春|利春]](高林吉次養子)、女(山口直堅妻)、[[島田利香|利香]]、'''守政'''、[[島田利直|利直]]、[[島田利近|利近]]、源五右衛門、女([[島田重利]]妻)、女(加藤正之妻)、女(土屋利次妻)
| 妻 =正室: '''[[喜連川頼氏]]の娘'''
| 特記事項 = '''[[島田利由|利由]]'''、[[島田隆政|隆政]]、([[島田利]]室)、([[坂部近]]室)、''''([[小野高光]]室)''([[天野久重]]室)
| 子 =
| 特記事項 =
| 特記事項 = '''[[島田利由]]'''、[[島田隆政]]、女([[島田利廣]]室)、女([[坂部廣近]]室)、''女([[小野高光]]室)''、女([[天野久重]]室)
}}
'''島田 守政'''(しまだ もりまさ)は[[江戸時代]]初期の[[旗本]]。江戸[[町奉行]](8代目北町奉行)を勤めた。同じく江戸町奉行などを歴任した[[島田利正]]の四男。
 
== 経歴生涯 ==
'''島田 守政'''(しまだ もりまさ)は[[江戸時代]]初期の[[旗本]]。
 
[[町奉行|江戸町奉行]](8代目北町奉行)を勤めた。名ははじめ「'''利木'''(としき)」。後に守政、忠政と改める。通称久太郎。法名幽山。従五位下出雲守。同じく江戸町奉行などを歴任した[[島田利正]]の4男。正室に[[喜連川頼氏]]の娘。子に[[島田利由|利由]]ら。
 
== 経歴==
寛永17年([[1640年]])に御小性組番士として出仕し、父利正の[[武蔵国]][[入間郡]]の采地より一千石を分けられた後、明暦2年([[1656年]])には御徒頭、万治元年([[1658年]])には御目付にと順調に出世する。
 
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[[元禄]]元年([[1688年]])、配流されていた[[松平光長]]再召還の際に不手際があり、勘気を被って閉門させられる騒動があった。翌年には赦され2年後には復帰している。
 
== 永源寺 釈迦降誕祭 ==
祖父[[島田重次]]の建立した[[埼玉県]][[坂戸市]]の[[永源寺 (坂戸市)|永源寺]]では毎年5月に「釈尊降誕祭」と呼ばれる祭が執り行われる。これは長崎奉行であった守政が赴任地長崎で伝来物の降誕釈尊仏を入手。菩提寺である永源寺に寄進したことから始まると伝わっている。
 
{{江戸町奉行|[[町奉行|江戸北町奉行]]|1667年 - 1681年}}
 
{{DEFAULTSORT:しまた もりまさ}}
[[Category:島田氏|もりまさ]]
[[Category:江戸幕府旗本]]
[[Category:長崎奉行]]
[[Category:江戸幕府町奉行]]
[[Category:長崎奉行]]
[[Category:武蔵国の人物]]
[[Category:出雲守]]
[[Category:1624年生]]