「葉村彰子」の版間の差分

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元々は[[逸見稔]]([[1933年]] - [[1995年]])が中心となって構成していた創作集団で、[[向田邦子]]・[[柴英三郎]]・[[松木ひろし]]らも参加していた。ペンネームは同じTBS月曜8時枠の、[[布施明]]主演のドラマ『[[S・Hは恋のイニシャル]]』に因んでいる。基本的にはプロットの方向性に沿って最もその方面が得意な人がだいたいの所を書き、逸見らの中心メンバーが微調整をする形で制作は行われていたという。この名前自体は1970年の『大岡越前』第一部が初出とみられる。同年制作の水戸黄門第二部第四話では、脚本・葉村彰子とクレジットされていることが、CALの水戸黄門HPで明らかになっている。
 
「葉村彰子」として活動は、原案製作する脚本にはされず評があり例えばまた安定感もある。大岡越前や水戸黄門では、一部シリーズごと、初回や最終回に加え、それ以外の放送回でも、「原案・脚本・葉村彰子」として充実した作品を提供している。下記の実在する脚本家らと連名で、脚本」担当としてクレジットされることもあった。
 
「江戸を斬る」においての一部シリーズでは、「原作・葉村彰子」とクレジットされていた。また、「水戸黄門外伝 かげろう忍法帖」では、すべての放送回の原案・脚本を担当した。
 
逸見の死後は「原案・葉村彰子」という[[名義]]で記されることが多くなり、原案の作成に徹している。それゆえ、以降、この名義で脚本が作られることはほぼなくなった。2000年の水戸黄門の大幅なリニューアルに伴い、葉村彰子の名前自体が月曜八時枠から消えたが、まれに、里見浩太郎などが主演の2時間ドラマなどで、原案として名前がクレジットされることがある。なお、水戸黄門は、現在でも逸見の起こした会社である「オフィス・ヘンミ」が制作協力としてクレジットされているものの、葉村彰子としてどのような形で番組制作にかかわっているかは不明である。
逸見の死後は「原案・葉村彰子」の[[名義]]でのみ記されるようになった。
 
この集団に参加していた主な人々は以下の通り。