「宇治橋断碑」の版間の差分

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3行目:
 
== 碑文 ==
『帝王編年記』所載の碑文はつぎのとおり。太字は断碑に残る箇所。
 
:'''浼浼横流''' '''其疾如箭''' '''修'''々征人 停騎成市 欲赴重深 人馬亡命 従古至今 莫知航竿
9行目:
:'''即因微善''' '''爰発大願''' '''結'''因此橋 成果彼岸 法界衆生 普同此願 夢裏空中 導其昔縁
 
復元された碑文では補石の際に、第1行第3句「々」を「修」に、第1行第8句「竿」を「葦」に、第3行第8句「昔」を「苦」に改めている。また日本古代史家で金石文研究家の藪田嘉一郎([[1905年|1905]]~[[1976年|76]])は、さらに第1行第8句「航」を「杭」に、第2行第4句「慧」を「恵」に正す。その校正理由は、
 
* 「々」→「修」- 断碑に「修」の上部らしきものが残る、また書き出しの「浼浼」は「々」を使っていない。
また日本古代史家で金石文研究家の藪田嘉一郎([[1905年|1905]]~[[1976年|76]])は、さらに第1行第8句「航」を「杭」に、第2行第4句「慧」を「恵」に正す。
* 「航竿」→「杭葦」 - 『帝王編年記』一本に「杭葦」とあり、「杭葦」という語は『[[詩経]]』にある。書き出しの「浼浼」も『詩経』から出た語。
* 「慧」→「恵」 - 「慧」と「恵」は同意。藪田は「慧満」を人名と捉え、ならば「恵」だという。しかし「慧満」は普通名詞とも考えられる。
* 「昔」→「苦」 - 「昔縁」では意味が通じない。「苦因」と同義の「苦縁」という語があり、それならば意味が通じる。
 
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