「山居倉庫」の版間の差分

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[[画像:Sankyo Souko2.JPG|thumb|right|200px|山居倉庫正面]]
[[画像:Sankyo Souko.JPG|thumb|right|200px|山居倉庫裏のケヤキ並木]]
現在の[[鶴岡市]]出身の[[棟梁]]・高橋兼吉<ref>旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎(以上 [[致道博物館]])、松ヶ岡蚕室([[松ヶ岡開墾場]])、荘内神社、大宝館(以上 鶴岡公園内)、[[朝暘学校]]、[[]]五重塔など、庄内地方に残る著名な建築物の建設に携わった。</ref>が設計した[[土蔵]]造りの建物で、明治30年([[1897年]])までに14棟が建設された。敷地は元々酒田市内を流れる新井田川の[[中洲]](山居島)で、港が近く舟運にも適していたが地盤が軟弱だったため、約3.6メートルの高さの[[盛り土]]と[[石垣]]を設置、基礎の下に長さ約3.6メートルの杭を打ち込むことでこれを解決した。完成の翌年の明治27年([[1894年]])に発生した[[マグニチュード]]7.0(7.3とも)の[[庄内地震]]では、倉庫自体への損害は僅かなものに留まった。
 
倉庫の西側には[[欅]]が植えられ、陽射しを遮ると同時に冬の強い[[季節風]]から建物を守っている。屋根は断熱を考慮した二重構造、内部の土間は[[にがり]]を用いて練り固めた上に塩を敷き、倉庫内の温度・湿度を一定に保つ技術が用いられている。