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[[1962年]]、[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]に入団。1年目から一番打者としてレギュラーポジションを獲得し、新人王候補にも挙がったが[[城之内邦雄]]にタイトルを奪われた。
 
[[1971年]]シーズン終了後現役を引退し、翌年から外野守備走塁コーチに就任、[[1978年]]のヤクルト[[セントラル・リーグ]]および[[日本選手権シリーズ]]初優勝時もコーチとして[[広岡達朗]]監督を支えた。当時は、三塁コーチを担当していたようで、日本シリーズ第7戦、上田監督が1時間19分に渡り、猛抗議をした大杉の放ったホームランでは三塁を回る大杉とハイタッチする写真が幾つかの雑誌に掲載されている
 
[[1990年]]からは[[野村克也]]監督の下でヘッドコーチに就任し、[[1992年]]・[[1993年]]のセ・リーグ連覇に貢献している。