「楡家の人びと」の版間の差分

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== 概説 ==
三部構成で、大正初めの全盛期から病院焼失を経て、[[1926年]](大正15年)の基一郎の死までを第一部、昭和初め、病院復興を背景に徹吉院長と龍子夫妻の軋轢を中心とし、[[1941年]](昭和16年)12月8日の[[太平洋戦争]]開戦までを第二部、戦中から空襲による病院の再度の焼失、そして一家の没落してしまという終戦後までを第三部としている。
 
北杜夫は、父[[斎藤茂吉]]、祖父[[斎藤紀一]]へとつらなる生家の変遷を小説にすることを長年の課題とし、既に大学時代から「神尾家の人びと」という仮題で構想を練っていた。そして、「私は漠然と、それを書く時期を四十代と思っていたが、急に予定を繰り上げることになったのは、自分の健康に自信を失ったためと、昔の事を知っている人たちがぼつぼつ死にはじめたからである」とあるように、1961年(昭和36年)の夏に創作に取り掛かり、親類縁者からの聞き取りや父茂吉の日記、随筆、メモ類、大正年間の新聞などの資料をもとに執筆を開始している。