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Hansa (会話 | 投稿記録)
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征西将軍の[[馬騰]]は郿に駐屯していたが、劉焉・劉範父子と手を組び、董卓没後に実力者となっていた[[李カク (後漢)|李{{Lang|zh|傕}}]]がいる長安を襲撃する計画を立てた<ref>『三国志』蜀志「[[許靖]]伝」が引く『益州耆旧伝』によると、[[韓遂]]・馬騰は関中で争乱を起こしたときは、たびたび劉焉と連絡を取り合っていたという。</ref>。しかし、計画が洩れたため、劉範は槐里に逃亡した。長安を攻撃した馬騰の軍も敗北し、涼州に撤退した<ref>『三国志』蜀志「劉二牧伝」が引く『英雄記』によると、劉焉は校尉の孫肇を援軍に出して、長安で敗れたという。</ref>。李{{Lang|zh|傕}}は逃亡中の劉範を追撃し槐里でこれを殺害し、弟の劉誕も[[処刑]]した。
 
議郎の河南の[[ホウ|龐]]は、先祖代々劉焉の家と交際があったため、劉焉の孫を伴って入蜀し、そのまま劉焉に仕えることになる。
 
このとき、落雷によって居城としていた綿竹が焼失してしまったために、劉焉はさらに奥地の[[成都]]に遷らざるを得なくなった。