「ミラクルパワーコンビ」の版間の差分
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== 歴史 ==
===結成===
若
しかし、両者は[[1976年]]下期に[[WWE|WWWF]]を共にサーキットしており、その際に再びタッグを組んだことがある<ref name="WWE 1976">{{cite web|url=http://www.thehistoryofwwe.com/76.htm|title=WWE Yearly Results 1976|accessdate=2010-06-16|publisher=The History of WWE}}</ref>。当時は同じ[[ヒール (プロレス)|ヒール]]陣営のジ・エクスキューショナーズ(1号=[[キラー・コワルスキー]]、2号=[[ビッグ・ジョン・スタッド]])が[[WWE・世界タッグチーム王座|WWWFタッグ王座]]に就いていたためタイトルに挑戦することはなく、本格的なタッグチームを結成していたわけではなかったが、[[イワン・プトスキー]]&[[ケビン・サリバン]]、[[チーフ・ジェイ・ストロンボー]]&[[アドナン・アル=ケイシー|ビリー・ホワイト・ウルフ]]などのチームと対戦した<ref name="WWE 1976"/>。
===日本デビュー===
本格的にこのコンビが売り出されたのは[[1981年]]、
その後、その師匠格でもあるファンクスに対して「テキサスの[[化石]]になれ」と宣戦布告し(外国人トップの[[世代交代]]を迫る意味合いもあった)、二人は本格的にタッグを組むことになる。
===全盛期===
世界最強タッグの戦績は、1982年はファンクスに反則負けで敗れるものの、[[1983年]]に初優勝。[[1984年]]は鶴龍コンビに次ぐ準優勝。しかも彼らの黒星はたいてい反則負けによるものであった。1984年4月には新設された[[PWF世界タッグ王座]]の初代王者決定[[リーグ戦]]で優勝。最終戦で馬場&[[ドリー・ファンク・ジュニア
コンビ再結成が軌道に乗ってからは
===解散===
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== エピソード ==
* [[ジャイアント馬場]]は、「[[ウィリアム・アフィルス|ディック・ザ・ブルーザー]]&[[クラッシャー・リソワスキー]]組より超獣コンビの方が上、プロレスが生誕して以来史上最強のタッグチーム」と評している<ref>バップビデオ ジャイアント馬場 ザ・ベスト・オブ・ザ・ベスト VOL.5 ~スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組~</ref>。
* ライバルである[[ジャンボ鶴田]]は、ミラクルパワーコンビと[[ロード・ウォリアーズ]]のどちらが強かったかというファンからの質問に対して、ミラクルパワーコンビの方が強かったと答えている<ref>週刊ゴング
また、当のブロディ、ハンセンはシングルプレイヤーとしても突出している自分たちと、タッグチームとしてのみ存在価値を持っているロード・ウォリアーズでは比較にならないとコメントすることが多かった{{要出典|date=2009年10月}}。また[[天龍源一郎]]も「ミラクルパワーコンビはレスリングも出来たし、30分、1時間といった試合も十分こなせた。だがウォリアーズにはそれは出来なかっただろう」と語っている{{要出典|date=2009年10月}}。
* 日本におけるこのコンビの入場テーマ曲は両者のテーマ曲を合体させたものである。また、二人とも同格であるということを意識して、リング・アナウンサーによる選手紹介の順番は必ず日替わりでどちらかが先に呼ばれることになっていた(通常、タッグでは最後に紹介される選手がチームリーダーであることが慣例)。
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