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'''曹 嵩'''(そう すう、? - [[193年]])は、[[中国]][[後漢]]末期の政治家、[[豪族]]。[[字]]は'''巨高'''。[[魏 (三国)|魏]]の太祖武帝[[曹操]]の父である。[[姓]]は[[曹氏]]。[[諡号]]は'''太皇帝'''。
==生涯==
『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』[[裴松之]]注引『曹瞞伝』によると、彼は[[夏侯氏]]の出身で、[[夏侯惇]]の叔父(父の弟)であるという。後に後漢の[[宦官]]で権勢を振るった[[大長秋]]
その性格は慎ましやかで、忠孝を重んじたという。官僚として[[司隷校尉]]
その後、[[黄巾の乱]]に始まる後漢末の大乱を避けるために、[[徐州]]東北部にある
[[220年]]、孫の[[曹丕]](文帝)が[[献帝 (漢)|献帝]]より[[禅譲]]を受けて皇帝となり[[魏 (三国)|魏]]を建てると、曹嵩は「太皇帝」と追尊された。
==子==
子については、曹操や共に殺害された曹徳(あるいは曹疾)の他に数名散見されるが、いずれも事蹟に乏しい。『魏書』「樊安公均伝」によると、薊恭公[[曹嵩#子|曹彬]]、同じく『魏書』「東平霊王徽伝」によると、朗陵哀侯[[曹玉]]の名が見えるが、それぞれ曹操の子である[[曹均]]と[[曹徽]]を養子に迎えていたと記録されるのみである。また、『魏書』「[[夏侯淵]]伝」によると、曹操の弟である[[海陽哀侯]]と諡された人物が確認でき、その娘が[[夏侯衡]](
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*[[曹操]](魏の[[太祖]]武帝)
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