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'''松平 正温'''(まつだいら まさはる)は、[[江戸時代]]の[[大名]]。[[上総国|上総]][[大多喜藩]]の第3代藩主。大河内松平家本家5代。
 
享保10年(1725年)、[[三河吉田藩]]主・[[松平信祝]]の三男として三河吉田で生まれる。[[寛延]]元年([[1748年]])10月に第2代藩主・正貞の世子だった[[松平久瑞]]が死去したため、11月16日に正貞の養子となり、12月に叙任する。そして寛延2年([[1749年]])に正貞も死去したため、その跡を継いで藩主となった。[[宝暦]]8年([[1758年]])に大坂加番となっている。[[明和]]4年([[1767年]])9月25日、長男の正升に家督を譲って隠居し、天明2年(1782年)11月2日に死去。享年58。
 
{{大河内(大河内松平)氏歴代当主|大河内松平宗家|1749年 - 1767年|第5代}}
{{大多喜藩主|大河内松平氏|3代|1749年 - 1767年}}