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1980年代半ば以降、本格的な隠遁の結果から商業メディアに文章を公表しなかった。その後長い隠遁と沈黙、絶筆の期間が過ぎ、2008年以降『[[歴史読本]]』([[新人物往来社]])での戦後アナキスト像<ref>『別冊歴史読本』2008年4月22日発行、第33巻第13号</ref>、『情況』([[情況出版]])での[[連合赤軍]]論<ref>『情況』2008年6月号</ref>、『[[悍]]』([[白順社]])での[[全学共闘会議|全共闘]]と[[ファシズム]]論<ref>『悍(HAN)』2008年創刊号</ref>などで著述活動を再開した。
 
現在は[[アジア主義]]に取り組み、[[大東亜戦争]]を「革命戦争」と捉え[[戦後]]に対して戦争継続を日本の正史として対置している。左の侵略戦争論も右の防衛戦争論もメタルの裏表にすぎないと批判。思想的には単なる[[保守]]や[[右派]]でも[[革新]]や[[左派]]でもなく、[[左翼]]と[[右翼]]の二項対立を止揚(あるいは[[脱構築]])する[[保守革命]]あるいは国民(民族)ボルシェヴィキ的な立場にあるが、そのような千坂について友人の[[絓秀実]]は「アナルコ・ファシスト」と評している(『[[en-taxi]]』[[扶桑社]])<ref>『en-taxi』2007年9月30日発行、第19号p.116-117.</ref>が、この点で千坂に特徴的なところは、左翼と右翼を統合するような立場ではなく、左翼あるいは極左的立場と右翼あるいは極右的立場が、そのまま同時的に存立するところ論理であり、それは、1968年の全共闘や新左翼の戦後に対する暴力闘争を、大東亜戦の降伏を拒否する[[本土決戦]]派の歴史的再生と捉え、[[日本赤軍]]を、現代版の南朝(吉野朝)的存在と見る視点などに見られる<ref>『悍』2008年10月発行、創刊号p.124-148.</ref>。
 
皇室のルーツに関する神話である「天孫降臨」についても氏素性不明者のそれを外部からの来訪と見なし、記紀に描かれた神武天皇による大和建国を、大和の既存保守勢力に対する外部勢力の侵攻による革命的建国と捉え、天皇の皇統的系譜上のルーツは、外部へと通じる構造を持つことから、天皇の皇統系譜的ルーツこそ、グローバリズム時代における閉鎖性に穴を開ける「破壊的性格」([[ベンヤミン]])としての革命であるとする<ref>『デルクイ』2011年2月28日発行、第1号p.146-159.</ref>。
 
第二次世界大戦については、警察的勢力としての連合軍に対する枢軸軍を革命的勢力として位置づけるが(だから戦後に、敗戦国に対する警察的なニュルンベルク裁判や東京裁判が行われたとする)、日本に関しては南京大虐殺や慰安婦問題は無かったという保守派の歴史観やホロコーストは無かったという歴史修正主義に対しては批判的であり、ホロコーストについては、むしろそれを遂行させた論理と倫理的背景の追求を主張している<ref>『新文学』2010年発行、第3号</ref>。