「小原道由」の版間の差分

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2000年以降、新日本プロレスから[[石澤常光]]と[[安田忠夫]]が[[総合格闘技]]イベント[[PRIDE]]に参戦しており、「犬軍団」以降目立った活躍がなかった小原も心機一転を図ろうと[[2001年]]にPRIDEへ参戦。「新日道場最強」と謳われ、国士舘大学柔道部主将というキャリアが期待された小原だったが、[[ヘンゾ・グレイシー]]、[[ケビン・ランデルマン]]と対戦するも、打撃に対応できない消極ファイトで結果を出すには至らなかった(レフェリーから「失格にするぞ!」と言われるほど、打撃から顔を背けていた)。
 
それと前後して小原は[[2002年]]1月に新日本プロレスを退団していたが、[[2003年]]1月に復帰。再登場した新日マットでは、[[ヒロ斎藤]]、後藤達俊、[[エンセン井上]]らとの「[[クレイジー・ドッグス]]」を結成して、[[プロレス結社魔界倶楽部|魔界倶楽部]]との抗争を展開した。プロレスへ復帰した小原だったが、総合格闘技への関心は続き、この頃、「総合格闘技塾破天荒」というチームを結成、所属選手の[[金親幸嗣|鋼侍]]をいくつかの大会へ送り出した。
 
しかし、翌[[2004年]]1月、新日本プロレスは選手の大量リストラの方針を打ち出し、小原も選手契約を切られた。11月にZERO-ONEのリングに乱入するが、試合をキャンセル。以後しばらく表舞台に現れることはなく、中古自動車買取業者勤務を経て整体師をしていたが、[[2006年]][[5月13日]]の[[WRESTLE LAND]]において新魔界3号として久々にリングに上がった。