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 ある日、[[釈迦]]が街を通過すると聞きつけた彼は、街の在家信徒15人と共に[[釈迦]]の元へ駆けつけるが、彼は既に80歳を超える高齢のうえ体力を消耗しきっていた。 <br> この時期[[釈迦]]の功徳は広く世に広まっており、世の高僧や王までもが街に美麗を尽くした供養を持参して捧げようとしたが、[[釈迦]]はこれを謝辞し、その中から純陀が持参した質素な料理(キノコを使った料理とも、豚肉を使った料理とも言われ判然としないが、出家僧であり、しかも体力を消耗した高齢の釈迦に対して肉料理を差し出すことは疑問であり、トリュフのように豚がキノコを好む性格を利用して採取するキノコもあるので、単に'''豚が好む種のキノコを使った料理'''というのが有力と言われている)を選んでこれを受けた。
 
 
 [[釈迦]]が、高僧や貴族らの持参した多くの供養を退け純陀の料理を選択した理由であるが、純陀が、在家で貧民の身でありながら自分の説き証した教義を、街の高僧よりも純粋に履行し、'''道を求めるに身分は関係ないという理想の求道姿勢'''を見たから、という説が有力だが、後の[[大乗仏教]]の思想が後年に介入している可能性もあり判明しない。
 
: ことに以下は、''[[法華経]]'' 影響下の''[[涅槃経]]''(一切大衆所問品、純陀品) で強く主張されている部分である。
 
 だが、純陀の料理を食した[[釈迦]]はその直後激しい腹痛を訴え、倒れたと伝えられる。<br> 思いも掛けない事態に泣き狼狽する純陀だが、[[釈迦]]は苦しみを耐えながら「いいか純陀よ、'''お前はこの大勢の中から仏の最期の供養者に選ばれたのだ'''。これは大変なことであり極めて成し難いことを遂げたのだ。スジャータ(成道の際に最初に乳粥の供養を捧げた少女)とお前の供養はまさに始まりと終わりの供養であり、私が受けた供養の中でも最も重要なものなのだよ。お前はよくやって来た。お前は人間の体であっても心は仏になったのだ。だから私が入滅しても悲しんではならず、むしろ喜ぶべきなのだ。」と諭したと言われる。
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 最後に純陀は「どうか元気になってください、この世は苦しみに満ちていて、あなたの教えが必要なのです」とすがるが、[[釈迦]]は「いいか純陀よ、現世の流転の苦しみに限りはない。栄えるものにも必ず終わりがあり、会うものにも必ず離別がある。誰しもが老病死の苦しみに喘ぐのだ。つまりこの世に生きることは苦しみそのものを体に集めているのと同じことであるから、これを取り除く事は出来ない。むしろこれを楽しみ=日々が修行であり、苦しみは常に自分を磨いてくれる尊い事象である。そして森羅万象全ての正体はみな空だということを悟り、'''この苦しみの現世に上妙の楽を見出すのだ'''」と説き、純陀は悟りを得て在家ながら尊者となった。<br> [[釈迦]]は純陀に別れを告げると最期を悟って弟子と共に出発し、入滅の地[[クシナガラ]]郊外の沙羅林へ向かう。