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*2009年、衆参の両院協議会で民主党が[[定額給付金]]への反対を理由に審議の引き伸ばしを行うと「両院協を予算案修正の場とみなし、給付金の削除や削減を求めるという今回の野党の対応は、ねじれ克服の一つの方法だ」と評価し、「両院協を審議引き延ばしに使うな」と民主党を社説で批判した読売新聞などを「議論の中身や評価は二の次で、与野党の思惑だの駆け引きだのをしたり顔で解説するだけだった」と毎日新聞のコラムで揶揄した。
 
==自民党権について局報道==
*[[毎日新聞]]の官邸キャップとして[[森喜朗内閣]]時代はを取材したが、官邸キャップとして「政策の記事をほとんど書いた記憶がない。毎日、失言ばかりを追いかけていた」と回想している<ref>[[毎日新聞]] 2008年12月11日[http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20081211ddm003070181000c.html 発信箱:悲しいほどの…=与良正男]{{リンク切れ|date=2010年12月}}</ref>。なお、[[森喜朗]]自身は退陣後に「あるテレビ局のキャップが[[首相官邸]]で、「森政権なんか、三ヵ月で潰してやる」と豪語していたと後で聞かされました」と証言している<ref>森喜朗(聞き手[[大下英治]])「「失言問題」、朝日新聞を叱る」『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2007年9月P51-52</ref>。その後、TBSのニュース番組でコメンテーターも務めることになるが、政策重視で組閣された[[安倍内閣]]を「お友だち内閣」と喧伝し、安倍晋三が病気のため内閣総理大臣を辞任すると「安倍政権は“お友だち内閣”なんて呼ばれていたけど、結局お友だちは誰もいなかったんでしょう」と揶揄するなど、[[自由民主党]]に対する報道姿勢は変わらなかった
=== 森内閣 ===
*[[森喜朗内閣]]時代は、官邸キャップとして「政策の記事をほとんど書いた記憶がない。毎日、失言ばかりを追いかけていた」と回想している<ref>[[毎日新聞]] 2008年12月11日[http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20081211ddm003070181000c.html 発信箱:悲しいほどの…=与良正男]{{リンク切れ|date=2010年12月}}</ref>。なお、[[森喜朗]]自身は退陣後に「あるテレビ局のキャップが[[首相官邸]]で、「森政権なんか、三ヵ月で潰してやる」と豪語していたと後で聞かされました」と証言している<ref>森喜朗(聞き手[[大下英治]])「「失言問題」、朝日新聞を叱る」『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2007年9月P51-52</ref>。
 
===安倍内閣===
*安倍内閣を「お友だち内閣」と揶揄していたが、安倍晋三が病気のため内閣総理大臣を辞任すると、「安倍政権は“お友だち内閣”なんて呼ばれていたけど、結局お友だちは誰もいなかったんでしょう」と述べた。
 
===麻生内閣===
* [[麻生内閣]]が成立すると、[[麻生太郎]]総理大臣を「『何となく』『基本的には』『いわゆる』が口癖で、具体的に政策について聞かれるとおどおどした表情を見せることさえある」と評した。また「今の与党にはもう政権担当能力がないのではと思う」<ref>[[毎日新聞]] 2009年02月19日与良正男(論説室)</ref>と述べなどの自論を毎日新聞に寄稿しTBSのニュース番組でも「毎日しつこくて申し訳ありませんが、解散総選挙して有権者に判断を仰ぐのが政治の王道だと思います」<ref>2009年2月13日のTBS『みのもんたの朝ズバッ!』(2009/2/13)</ref>「すぐ解散したら'''初めて'''褒めてあげる」<ref>2009年7月1日放送のTBS『みのもんたの朝ズバッ!』</ref>と視聴者に訴えて、麻生内閣の退陣と解散総選挙を実施し、による政権交代実現するべきであると、テレビ・新聞通じて訴え主張した。
 
==民主党政権について==