「御堂関白記」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
10行目:
同時代の貴族が記した日記、『[[小右記]]』([[藤原実資]])、『[[権記]]』([[藤原行成]])とともに、当時の貴族社会を知る上で、重要な意味を持つ[[史料]]である。
 
なお、寛弘5年12月20日条の裏書には南北朝時代の北朝の廷臣である近衛道嗣の日記、『後深心院関白記』(『愚管記』とも)が抜書されている。これを記した者は、安土桃山時代の公家である[[近衛信尹]]とされる。信尹は、自筆本のうちの五巻分を折状の状態にしている。寛弘5年の裏にだけ日記を写したうえで、折状を元の巻子本に戻し、紙を付けた。『御堂関白記』の裏に信尹が抜書を行なったことを発見し、景紙の外題に、「裏信尹公手跡/自延文元至三年抜書」と書き付けたのは、嗣子の[[近衛信尋]]であったという<ref>倉本一宏「史料紹介・『御堂関白記』自筆本の裏に写された『後深心院関白記』」『日本研究』44号掲載・445~462頁・2011年</ref>。
 
[[倉本一宏]]によって初の現代語訳が刊行された([[講談社学術文庫]]上中下巻、[[平成]]21年([[2009年]]))。
また抄訳版も出版された。(『御堂関白記 藤原道長の日記 日本の古典』[[繁田信一]][[角川ソフィア文庫]]([[2009年]]))
[[2011年]]5月、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[世界記憶遺産]]への推薦が決定。