「第1次佐藤内閣 (第3次改造)」の版間の差分

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前の[[第1次佐藤内閣 (第2次改造)|第1次佐藤第2次改造内閣]]の[[内閣改造|改造内閣]]である。
 
== 概要 ==
1966年(昭和41年)12)後半より[[田中彰治]]代議士の不祥事([[国際興業]]会長脅迫事件)に端を発し、共和製糖不正融資事件にまで拡大した[[黒い霧事件 (政界)|政界黒い霧問題]]の最中、12月1日、[[自由民主党 (日本)|自民党]]は[[日比谷公会堂]]で第8回臨時党大会を開き、総裁公選を実施した。佐藤栄作総裁(首相)は289票を獲得して再選したものの、対立候補らに投じられた批判票が170票(内訳は、[[藤山愛一郎]]89票、[[前尾繁三郎]]47票、[[灘尾弘吉]]11票、[[野田卯一]]9票、[[小坂善太郎]]2票、[[岸信介]]1票、[[松村謙三]]1票、[[村上勇]]1票、無効票9票)にのぼる結果となった。
 
総裁選の結果を受けて佐藤栄作は党三役を刷新し、翌12月3日に内閣改造を実施した。しかし佐藤政権に対する国民の不信感の広がりを感じ取っていた佐藤は年の瀬も押し迫った12月27日に第54回通常国会を召集し、その日に[[衆議院解散]]([[黒い霧解散]])を断行し、[[第31回衆議院議員総選挙]]に打って出ることとなる。
同年12月2日に佐藤首相は党三役を刷新し、翌12月3日に内閣改造を実施した。
 
== 閣僚 ==
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* 科学技術政務次官 - [[始関伊平]]
 
== 自民党 ==
内閣改造に伴い、自民党役員改選が行われた。[[田中角栄]]幹事長は、[[黒い霧事件 (政界)|黒い霧事件]]問題に対する執行部の責任の明確化を取るために、[[福田赳夫]]と交代した。しかし、福田幹事長起用の本質的な理由は、佐藤後継は福田であるという佐藤及び佐藤の実兄、[[岸信介]]の意向であった。田中は自民党都市政策調査会長という閑職につくが、この間に都市政策、国土政策を研究し、後の[[日本列島改造論]]に結実することになる。
 
また、[[川島正次郎]]副総裁も、黒い霧事件の責任を取るために辞職を申し出たために辞任した。
*[[自由民主党幹事長|幹事長]] - [[福田赳夫]](福田派)
 
*[[自由民主党総務会|総務会長]] - [[椎名悦三郎]](川島派)
* [[自由民主党政務調査会幹事長|政務調査会幹事長]] - [[西村直己福田赳夫]](佐藤福田派)
* [[自由民主党幹事長総務会|幹事総務会長]] - [[福田赳夫椎名悦三郎]](福田川島派)
* [[自由民主党調査会|調査会長]] - [[椎名悦三郎西村直己]](川島佐藤派)
 
== 参考文献 ==
* [[秦郁彦]]編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』[[東京大学出版会]]、2001年。
 
== 外部リンク ==
* [http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/61-3.html 首相官邸 - 第1次佐藤内閣第3次改造内閣]
 
{{日本国歴代内閣|[[第1次佐藤内閣 (第2次改造)|第1次佐藤第2次改造内閣]]|第1次佐藤第3次改造内閣|1966年12月3日 - 1967年2月17日|[[第2次佐藤内閣]]}}