「Jリーグ加盟を目指すクラブ」の版間の差分
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*地元[[行政]]や地域サッカーコミュニティとの足並みの不一致
*地元地域の既存・後発の他クラブとの競合
*チーム関係者による[[不祥事]]
概して、これら要因の内の幾つかが複合的に重なり、決して容易なものではないクラブ運営の現実を突きつけられる格好で、その経営自体が安定しないまま尻すぼみになっていった結果ということが言える。この様な場合、運営母体の関係者(特にオーナー)によってJリーグ加盟構想だけが大々的に吹聴されて独り歩きし、後に「絵に描いた餅」という[[ことわざ]]が端的に表すような状況を呈することも多い。また、単に社会人サッカーチームをクラブ化させた挙げ句に消滅・弱体化させた結果となり、前身となったチームがあった地域のサッカー界に混乱と打撃を与えただけのケースも見られる。▼
**不祥事の発生によるスポンサー離れ
▲概して、これら要因の内の幾つかが複合的に重なり、決して容易なものではないクラブ運営の現実を突きつけられる格好で、その経営自体が安定しないまま尻すぼみになっていった結果ということが言える。この様な場合、運営母体の関係者(特にオーナー)によってJリーグ加盟構想だけが大々的に吹聴されて独り歩きし、後に「絵に描いた餅」という[[ことわざ]]が端的に表すような状況を露呈することも多い。また、単に社会人サッカーチームをクラブ化させた挙げ句に消滅・弱体化させた結果となり、前身となったチームがあった地域のサッカー界に混乱と打撃を与えただけのケースも見られる。
*[[帯広FC]](北海道[[帯広市]])- 1989年、[[よつ葉乳業]]サッカー部をクラブ化、数回の改名を経て1995年に帯広FCとなる。2004年を最後に帯広地区リーグに降格すると主力選手の大半が現在帯広からJリーグ参入を目指している[[とかちフェアスカイ・ジェネシス]]の前身ルードボーイズに移籍する。その結果クラブの存在意義を失い、2006年から活動を休止し、現在はジュニアやジュニアユースなど下部組織の育成のみを行っている。
* [[アステール青森FC]](青森県[[五戸町]])- 1997年、青森スポーツクラブが「五戸町役場サッカークラブ」を母体に結成したチーム。青森では、[[2002 FIFAワールドカップ]]の試合会場の誘致活動が展開されており、その“青森会場”として[[青森市]]郊外に建設が計画されていた[[青森県営サッカースタジアム]]を本拠地とすることを前提としたJリーグ参入構想が立てられた。しかし、前年にワールドカップ会場から青森が落選したことで、県営サッカースタジアム構想はアステールの結成直後に完全に白紙化してしまい、Jリーグ参加構想は目途が立たなくなる。その後わずか数年の間に弱小化していき、アステールの最後のシーズンである2006年は、全選手わずか14人でシーズンを戦い、同年を最後に解散した。
* [[FC秋田カンビアーレ]](秋田県秋田市 東北社会人リーグ1部) - 2009年2月28日、スポーツ振興による地域活性化を
* [[ビアンコーネ福島]](福島県[[郡山市]] 福島県社会人リーグ1部) -
* バリエンテ郡山(福島県郡山市 福島県社会人リーグ2部) - [[ジョージ・ウェア]]を総監督
* [[アルテ高崎]](群馬県[[高崎市]]
* [[ワールドブリッツ小山]] ([[栃木県]][[小山市]]) - 1996年、小山市をホームタウンとした市民球団の構想を掲げてJリーグ入りを目指し発足したが、メインスポンサーとトラブルが発生し、行政の支援も
* [[ブレッサ相模原]](神奈川県相模原市 神奈川県社会人リーグ1部) - 2008年、「南フットボールクラブ」から改名。地元青年会議所が中心となり「相模原にJリーグクラブをつくる会(以下、つくる会)」が発足し同クラブを強化すべく活動を開始したが、同時期に[[望月重良]]により[[S.C.相模原]]が結成、行政や市議会、商工会議所が支援を表明し、「つくる会」を発足させた青年会議所までもがS.C.相模原の支援に回ったため、「つくる会」はわずか1年で解散。公式サイトからJリーグ加入を目標とする文言は消え、地域総合スポーツクラブ発足を目標に活動を転換している。
* [[静岡FC]](静岡県静岡市) - 2001年、NPO法人「静岡市にJリーグチームを作る会」によって設立したクラブだったが、2010年1月に静岡県社会人リーグ1部の[[藤枝MYFC]]に吸収合併されることを発表し、Jリーグ参入の夢を託して消滅した。
* [[ヴァリエンテ富山]]([[富山県]][[富山市]]・[[射水市]] 北信越フットボールリーグ
* [[ゴールズFC]](石川県[[野々市市]] 北信越フットボールリーグ2部) - 現FC北陸。[[白山市]]を拠点に活動していた旧フェルヴォローザFC。2007年、経営危機に陥り、2009年に運営が市外の企業へ譲渡された。更に2011年のシーズン開幕直前、クラブ運営が学校法人[[北陸大学]]への移管が発表され、名称を変更。チーム編成も北陸大学生主体の学生・社会人の混成チームとなった。
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* [[テクノネット大阪]](大阪府大阪市 大阪府社会人サッカーリーグ1部)- 1997年JFL昇格を目標に大阪市で設立。2006年Jリーグ参加を目指すべく拠点を東大阪市に移転しクラブ名を「ディスポルト大阪」に変更するが、東大阪市がJリーグ参入に消極的だったため翌年「FCグラスポkashiwara」にクラブ名を変更して柏原市に移転。2009年NPO法人堺スポーツクラブを設立、堺市に移転し「FC堺」として「堺」×「J」プロジェクト始動と公式ウェブサイトに大々的に掲載する。だが、この年の暮れ、NPO法人堺スポーツクラブはそのままに拠点を大阪市に戻し、クラブ名も「テクノネット大阪」に戻した。現在は、当初の目標であるJFL昇格を念頭にJリーグ参入の夢は一旦置いている。
* [[エストレーラ宮崎]](宮崎県[[宮崎市]]) - 1999年、宮崎県教育委員会直属の「宮崎県教員団サッカー部」をJリーグに参入を目指すべく「プロフェソール宮崎FC」としてクラブチーム化。2001年の地域リーグ決勝で準優勝という成績を収め日本フットボールリーグに昇格を果たすも、翌2002年、最下位に沈み1年で九州リーグに逆戻りとなる。2003年からはクラブ名を「サン宮崎FC」に変更し活動をするが、2005年は、九州リーグで最下位になり宮崎県リーグ1部まで降格してしまう。2007年、現状を打破するべく市町村リーグの[[ブルノス宮崎FC]]を合併しさらにクラブ名「エストレーラ宮崎FC」と3回目の変更を行い活動をする予定だったが直前で白紙化し、エストレーラ宮崎FCの変更のみ行う。そのシーズンは宮崎県リーグ1部優勝し九州リーグ復帰が期待されるも九州・県リーグ決勝大会では1回戦で3点リードをひっくり返される大逆転負けを喫し復帰に失敗する。その後は公式ウェブサイトも消滅し県リーグでひっそりと活動をしていたが、2010年3月をもって解散<ref>[http://teruspo.blog48.fc2.com/blog-entry-1984.html#more エストレーラ宮崎FCが解散]</ref>、チームは宮崎産業経営大学FCに移管された。
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