ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「仏壇」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2011年11月29日 (火) 07:09時点における版
編集
202.174.216.52
(
会話
)
→宗派による違い
← 古い編集
2012年1月20日 (金) 07:23時点における版
編集
取り消し
218.123.185.1
(
会話
)
→普及時期
新しい編集 →
19行目:
=== 普及時期 ===
江戸時代、幕府の宗教政策である[[寺請制度]]により、
何れか
居住する自治体
の寺院
(明治まで寺院は自治体の役所)
を[[菩提寺]]と定め
、
その[[檀家]]
(自治体員)
になることが義務付けられた。その証として各戸ごとに仏壇を設け、朝・夕礼拝し、先祖の命日には僧侶を招き供養するという習慣が確立した。社会が安定し、庶民の暮らしが豊かになってきたことも背景に、庶民にまで浸透した。また[[日光東照宮]]などに見るように、[[元禄]]期の社寺建築技術の隆盛が各地に影響を与えた。金仏壇産地の多くは、その頃に[[宮大工]]が興したと言われている。この点についても諸説存在する。
=== 補足 ===