「シャルル・デュトワ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Erzngbex (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
62行目:
2000年から3年間、札幌を中心に行われるパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)、[[2004年]]から6年間、故・[[アイザック・スターン]]の遺志を継ぎ、[[宮崎国際音楽祭]]の芸術監督を務めた。宮崎では大ホールでのオーケストラ公演のほか、デュトワが得意とする小編成の楽曲や室内楽曲のレパートリーをも取り上げ、人形劇を加えてのファリャの『[[ペドロ親方の人形芝居]]』やストラヴィンスキーの『[[兵士の物語]]』を街頭で演奏するなどの企画が披露された。
 
[[1999年]]には[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]『シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典』(世界の音楽主要10都市を特集した全10回の教育ドキュメンタリー・シリーズ)に出演、自らキャストとして作曲家の役にも扮した。
また、[[テレビ朝日]]『[[徹子の部屋]]』にも招かれ出演している。
他にも[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]「[[N響アワー]]」の新年番組にもゲストとして袴姿で出演している。(この際、「あけましておめでとうございます」と日本語で話した。)