「フリーマン・ダイソン」の版間の差分

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[[1951年]]からコーネル大学教授、[[1953年]]からプリンストン高級研究所教授として勤務。[[1957年]]にアメリカに帰化。[[アメリカ国防総省|国防省]]、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]、[[軍備管理軍縮局]]などの嘱託を務める。[[1960年]]に[[ダイソン球]](ダイソン・スフィア)の概念を発表。
 
過去、周囲から何度もノーベル賞有力候補として名が挙がるも受賞には至らず。本人はあまり頓着しておらず、賞レースには消極的で無関心な事を明かしている。
 
== 主要な著書 ==