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[[image:Korcula City.jpg|right|thumb|250px|コルチュラの町]]
[[image:Croatia - Korcula.PNG|right|thumb|200px|コルチュラ島の位置]]
'''コルチュラ島''' (-とう、[[クロアチア語]]:'''Korčula'''、[[ギリシャ語]]:Κορκυρα Μελαινα、[[ラテン語]]:''Corcyra Nigra''または''Korkyra Melaina''、古[[スラヴ語]]:''Krkar''、[[イタリア語]]及び[[ヴェネツィア]]方言:''Curzola'')は、[[クロアチア]]、[[ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡]]の島。[[アドリア海]]に浮かぶ。面積279平方キロメートル。島は東西に46.8キロメートルと長く、南北の長さ平均は7.8キロメートルと、細長い形をしている。本土の[[ダルマチア]]地方と向かい合っている。島の総人口は16,182人(2001年)であり、[[ダルマチア諸島]]の中では[[クルク島]]の次に人口が多い。そのうち96.77%は[[クロアチア人]]、残りは少数民族である [http://www.dzs.hr/Hrv/censuses/Census2001/Popis/H01_02_02/H01_02_02_zup19.html]。
 
== 地理 ==
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===20世紀から現代===
[[第一次世界大戦]]中、イタリアが[[イギリス]]とフランス側について参戦した見返りとして1915年の[[ロンドン条約 (1915年)|ロンドン条約]]で、島はイタリア王国へ属することが約束された。しかし、戦後、コルチュラは(ダルマチアとともに)1918年、[[セルブスロベニア人・クロアートチア人スロヴェーンセルビア人国]]の一部となった。[[ユーゴスラビア王国|セルブ・クロアート・スロヴェーン王国]]に編入された後、1918年から1921年にイタリア支配を受けた。1939年、[[ザグレブ]]を県都とするクロアチア県(ユーゴスラビア王国の行政区画)の一部となった。
 
1941年からユーゴスラビアを占領した[[枢軸国]]による統治時代、クロアチアの民族団体[[ウスタシャ]]の部隊が、イタリアの[[ファシスト]]政権に対してダルマチア大半とともに島を掌握した。1943年にイタリア=[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]間に停戦が結ばれた後、短期間[[パルチザン (ユーゴスラビア)|ユーゴスラビアのパルチザン]]らはこの地方で相当の援助を受けて支配をした。その後コルチュラは[[ナチス・ドイツ]]に占領され、1944年に最終的に解放された。1945年のユーゴスラビア解放とともに、[[ユーゴスラビア連邦人民共和国]]が成立、コルチュラ島は連邦を構成する6つの共和国の1つ、[[クロアチア人民共和国]]に属することとなった。国は1953年に[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]に変わった。1991年以後、島は独立したクロアチア共和国の一部となった。
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* [http://www.kaleta.hr/ Travel agency Korcula]
 
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{{クロアチア領の有人島}}
 
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[[Category:クロアチアの島]]
[[Category:ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡]]