「笑福亭鶴光」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
46行目:
== プロフィール ==
=== 落語家 ===
*[[笑福亭松鶴_(6代目)|6代目笑福亭松鶴]]に師事。[[笑福亭仁鶴 (3代目)|笑福亭仁鶴]]に次ぐ2番弟子。入門の際、松鶴の許を直接訪問せずに、「入門を認めるなら○、認めないなら×」という様な内容を記した往復はがきを郵送したエピソードが知られる。結局返信されなかったために直接6代目松鶴の元に訪れ弟子入りを直訴した。その際に6代目松鶴から「笑福亭の「笑」が「松」になっとたやないか!!!! ドアホ!!!!」と言って叱られた。
*正式な入門は[[1967年]]4月。初舞台は[[1968年]]2月の[[新世界 (大阪)|新世界]][[新花月]]。
*[[上方落語協会]]、関西演芸協会のほか、[[春風亭柳昇]]の口添えで、[[1990年]]より[[落語芸術協会]]にも上方真打として参加しており、通常は[[東京]]の寄席に出演している。これは鶴光が[[1987年]]から[[2003年]]の間、東京の[[ニッポン放送]]で月-金の帯のレギュラー番組(後述)を持っていたというスケジュール上の事情が背景にあるが、これとは別に師匠である6代目松鶴が「鶴光が引き続き東京で活躍できるように」と計らい、落語芸術協会に働きかけたことによるものともいわれている。また、松鶴は、東京に上方の人間が常駐することによって、東京と上方の架け橋になればいいと、考えていたとも言われている。東京の寄席でトリをとれる上方落語家は鶴光のみ。東京の寄席事情を知る唯一の上方落語家として、上方落語協会の桂三枝会長の信頼も厚い。[[春風亭小朝]]ら、鶴光に上方ネタをつけてもらう東京の[[噺家]]は多いという。東京での地道な活動が徐々に認められつつあり、NHK「日本の話芸」にも出演することが多い。