「地図帳」の版間の差分
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==歴史==
最古の地図帳は、[[2世紀]]の[[古代ローマ]]の[[地理学者]]・[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の「地理学」に収められている27葉からなる地図集と言われている。
地図帳作りが盛んになってきたのは、16世紀になってからでイタリアの[[ローマ]]や[[ヴェネツィア]]などで作られた。中でも1575年ころに出された地図帳にはイタリアの銅版画師・[[アントニオ・ラファエリ]]による[[アトラス]]
[[Image:OrteliusWorldMap.jpeg|thumb|[[アブラハム・オルテリウス]]による「世界の舞台」(1570年)]]
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[[1570年]]には[[オランダ]]の[[地図学者]]・[[アブラハム・オルテリウス]]によって初めて世界全体が描かれた地図帳「[[世界の舞台]]」(''Theatrum Orbis Terrarum'')が出版され、忽ちヨーロッパ中で大きな反響を呼び、版を重ね、地図帳発展の礎を築いた。またこの地図帳は体系的で[[記号]]を統一的に表現した点でも画期的だった。
また[[地図投影法]]のひとつ([[メルカトル図法]])で有名なオランダの地図学者・[[ゲラルドゥス・メルカトル]]も地図帳を出版する。しかし、未完のままになっており、完成した暁には自分の地図帳には「アトラス」と名づけるようにと息子に遺言を残した。メルカトルの死の翌年の[[1595年]]、遺言どおり「アトラス」と名づけられた全107の図葉からなるメルカトルの地図帳が完成した。地図も反響をよんだが、このメルカトルによって名づけられた「アトラス」が各国に輸出され、やがて地図帳を表す名詞になった。その後も17世紀にかけて地図帳はヨーロッパ各国で出版され、やがてヨーロッパ人の地理的知識の拡大と共に精度も増していった。
ここまで時代の地図帳は大型で豪華な装丁であったが、18世紀にはやがて実用的な小型のものも現れるようになり、さらには世界全体ではなく特定の地域を描いた地域地図帳、特定の主題を描いた
[[Image:Atlas - book.jpg|thumb|left|現代社会に見られる地図帳]]
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また、戦後の日本は次第に車社会になり、[[自動車|車]]を利用する人たちが増え[[道路地図]]に対する需要が急激に増し、地図帳の新たな一面が開かれたのをはじめ、個別の住宅まで表現された[[住宅地図]]や[[観光]]情報を盛り込んだ地図帳などニーズが多様になるにつれ、実用的な側面の強い様々な種類の地図帳も出されるようになったのも20世紀の特徴といえる。また20世紀後半には、[[コンパクトディスク|CD]]や[[DVD]]に収録されたデジタル化された電子地図帳も現れた。これも、現代社会における地図帳の一分野として認知されているものといえる。
一方で従来のスタイルの地図帳へのニーズも高く、大型の地図帳で現在でも版を重ねて発刊されているものも多い。また、地図帳は現代の学校教育の現場での活用も多く、[[初等教育]]や[[中等教育]]といった段階に応じて地図帳が用意されており、社会科教育、特に[[地理教育]]において不可欠な資料となっている。なお、この教材としての地図帳は[[検定教科書]]である。
== 主な地図帳 ==
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