「ダニエル・ポンセ・デ・レオン」の版間の差分

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五輪出場後にプロ転向を目指し、[[2001年]][[3月31日]]に[[メキシコ]]でプロデビューする。デビューから11戦連続KO勝利を収め、[[2002年]][[8月17日]]には[[世界ボクシング評議会|WBC]]ユース[[バンタム級]]王座を3回TKOで勝利して獲得する。その後も連続KO勝利の記録を伸ばし、[[2004年]][[6月11日]]に判定勝利となり21戦連続で記録は途絶えた。同年[[10月22日]]には[[北米ボクシング機構|NABO]]北米[[スーパーバンタム級|ジュニアフェザー級]]王座を獲得したが、[[2005年]][[2月17日]]に[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[スーパーバンタム級|ジュニアフェザー級]]挑戦者決定戦で、後の[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーバンタム級]]王者[[セレスティーノ・カバジェロ]]と対戦し、初の敗北を喫する。
 
[[2005年]][[10月29日]]に[[タイ]]の[[ソッド・ルークンノンヤントイ]]と空位の[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[スーパーバンタム級|ジュニアフェザー級]]王座を賭け対戦し、大差判定で勝利し獲得した。その後同王座防衛に6度成功。
 
[[2008年]][[6月7日]]、7度目の防衛戦で[[ファン・マヌエル・ロペス]]と対戦。試合前は王者有利と予想されたが、1RTKO負けで王座から陥落した<ref>[http://blog.goo.ne.jp/daisukebe_2006/e/b0010f054fe2b2fa2030697224cd86fa ダニエル・ポンセ・デ・レオン対ファン・マヌエル・ロペス(2008/06/07)] box観戦記録 2008年6月8日</ref>。
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[[2011年]][[3月5日]]、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[アナハイム]]の[[ホンダセンター]]で[[エイドリアン・ブローナー]]と空位の[[世界ボクシング機構|WBO]]インターコンチネンタル[[フェザー級]]王座決定戦を行い、0-3の判定負けで[[世界ボクシング機構|WBO]]インターコンチネンタル[[フェザー級]]王座獲得に失敗<ref>[http://blog.goo.ne.jp/daisukebe_2006/e/87f3b606ca0253b1efbb96ca6d4f3e4c エイドリアン・ブローナー対ダニエル・ポンセ・デレオン(2011/03/05)] box観戦記録 2011年6月2日</ref>。
 
[[2011年]][[9月10日]]、[[アメリカ合衆国]][[ニュージャージー州]][[アトランティックシティ]]の[[ボードウォーク・ホール]]で[[ユリオルキス・ガンボア]]と対戦し、8回に偶然のバッティングによる負傷でデ・レオンの試合続行が不可能になった為、0-3(72-80、 72-80、 73-79)の負傷判定でガンボアに敗れた<ref>[http://blog.goo.ne.jp/daisukebe_2006/e/85bea9f46b2583efd46001f2192eb41d ユリオルキス・ガンボア対ダニエル・ポンセ・デレオン(2011/09/10)] box観戦記録 2011年9月11日</ref>。
 
== 獲得タイトル ==