「ドクトル・マブゼ」の版間の差分

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しかし単純な犯罪ドラマとは言えない。舞台はパリにも及ぶが、フォン・ハルボウ=ラングの脚本・監督チームはマブゼの活躍を通して、ドイツの[[第一次世界大戦]]敗戦後の社会的混乱とすざましい[[インフレーション]]にあえぐドイツの退廃した世相を描くことを意図した。ドラマの展開と関係なく、賭博場の経営者が1912年には街頭で貧弱な玩具を売っていたが、やがて事務所を持ち、戦後は故買屋になり、1922年の現在は、でっぷりと太った金持ちに出世している、という経過を年代の字幕を加えて説明するなどは、この意図の流れであるが、その結果が単なる犯罪映画とは言えないスケールを生み出している。
 
マブゼはドイツースイスの経済協定書を奪うことで[[株式市場]]を混乱に陥れ、莫大な利益を手に入れる。地下の工場では大量の贋紙幣を印刷している。これは[[マルク (通貨)|マルク]]の驚異的な暴落に結びつけた発想である。賭博の場面が多いのは経済的な無秩序の強調であり、マブゼが催眠術をさかんに用いるのは、敗戦後の自主性を失った不安定な精神状態を反映したものである。戦後の退廃した風俗は、フォリー・ベルジェールや秘密クラブの場面で描かれる。
 
前作の『死滅の谷』(1921)は、若い女性が死に神に奪われた恋人を取り戻そうとする神秘的で幻想的な物語だったが、今回のラングは[[リアリズム]]を演出の基礎としている。この作品を[[表現主義]]映画のカテゴリーに分類する人が少なくないが、確かに幾つかの場面の装置には表現主義的な様式が見られるが、ほかにもいろいろな様式が取り入られており、当時流行していた新しい美術を広範囲に展示することが眼目で、表現主義ははその一部だったと見るべきである。また、表現主義映画では、その様式の関係からセット撮影が主体となるが、この作品ではロケーションによるリアルな外景が少なくない。