「コレッジョ」の版間の差分

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== 生涯 ==
北イタリアの[[モデナ]]の近くの[[コッレッジョ|コレッジョ]]で生まれ、同地で没した。<ref>コレッジョの生年は、40歳頃(没年1534年)に死んだというヴァザーリの記述から逆算して、1494年頃と考えられてきた。現在では1489年頃が通説となっている。,</ref>[[パルマ]]を中心に活躍した画家である。本名はアントニオ・アッレグリで、生地の町の名にちなんでコレッジョと呼ばれる。修業期の経歴については不明な点が多い。[[1506年]]頃[[マントヴァ]]に移り、同地に重要な作品を残す画家[[マンテーニャ]]の厳格な画風の影響を受けた。コレッジョは[[1519年]]頃には[[パルマ]]に移り、同地のサン・パオロ尼僧院の天井画、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の天井画などを手がけている。後者の天井画における効果的な短縮法(遠近法の技法の一種)の使用や、天井に開いた穴から本物の空を見上げているような錯視効果をねらった表現は、マンテーニャの影響によるものであろう。
 
パルマのサンタントニオ聖堂の[[アルターピース|祭壇画]]として描かれた『聖ヒエロニムスのいる聖母』(1527年–[[1528年]])は、[[聖母マリア|聖母]]、幼児[[イエス・キリスト|キリスト]]、[[マグダラのマリア]]、[[天使]]らの甘美な表情のなかに宗教的崇高さをも表現した代表作である。[[スフマート]](輪郭線を煙がかかったように柔らかく表現する技法)を生かした作風には[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の影響が見て取れる。この作品は「イル・ジョルノ(昼)」と通称され、「ラ・ノッテ(夜)」の通称をもつ『キリストの降誕』(1529年–1530年頃)と対で紹介されることが多い。