「エミール・ヤニングス」の版間の差分
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{{ActorActress
| 芸名 =
| ふりがな = エミール・ヤニングス
| 画像ファイル = Bundesarchiv Bild 102-07770, Berlin, Rückkehr Emil Jannings aus Amerika.jpg
| 画像サイズ =
| 画像コメント = ヤニングスと妻(1929年5月)
| 本名 = Theodor Friedrich Emil Janenz
| 別名 =
| 愛称 =
| 出生地 = {{CHE}} [[ザンクト・ガレン州]][[ロールシャッハ
| 死没地 = {{AUT}} [[ザルツブルク州]][[シュトローブル]]
| 国籍 =
| 生年 = 1884
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| 公式サイト =
| 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力-->
| アカデミー賞 = '''[[アカデミー主演男優賞|主演男優賞]]'''<br />[[第1回アカデミー賞|1928年]]『[[肉体の道]]』『[[最後の命令]]』
| AFI賞 =
| 英国アカデミー賞 =
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| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
▲| その他の賞 = [[ヴェネツィア国際映画祭]][[ヴェネツィア国際映画祭 男優賞|男優賞]]<br />[[1937年]]『[[支配者]]』
| 備考 =
}}
'''エミール・ヤニングス'''
== 来歴 ==
本名テオドール・フリードリヒ・エミール・ヤネンツ。1884年7月23日、[[スイス]]のロルシャハに中産階級の家に生まれる。父親はアメリカ人、母親はスイス人。16歳には家出し船乗りになり、最後は大洋航路の調理人の助手になる。しかし幻滅して家に戻り、すぐに劇団に入る。18歳で彼はプロフェッショナルな舞台デビューを飾り、チューリヒとドレスデン地方の部隊で古典演劇を学ぶ。1906年ドイツ演劇の大御所[[マックス・ラインハルト]]に招かれ、ベルリンのドイツ劇場に出演、『[[ファウスト]]』の[[メフィストフェレス|メフィスト]]を演じた。この十年間でドイツの演劇史に残る俳優となる。
1914年には映画界に進むがお決まりの役柄しか回ってこなかったが、1919年には歴史劇や文芸作品で大いに名を挙げ、1920年代中頃には国際的にも知名度が上がり、『[[ヴァリエテ]]』
1927年米国の[[パラマウント]]映画と契約を結び、[[ハリウッド]]に移り、渡米第1作『[[肉体の道]]』
1929年、彼はドイツへ帰る。1930年、ドイツに渡ったハリウッドの新進監督[[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]の手で『[[嘆きの天使]]』が作られた。この作品によって[[マレーネ・ディートリッヒ]]とスタンバーグは、国際的に名をあげ、映画史上に一時代を築く。ヤニングスにとっても、この『嘆きの天使』は、彼の出演作品中最大のヒットとなった。だが、当時すでに評価の定まっていた彼にとっては、単なるヒット作の域を出ず、最後の輝きを放つものとなった。
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== 主な出演作品 ==
* パッション
* デセプション
* カラマゾフの兄弟
* オセロ
* 最後の人
* 裏町の怪老窟
* ヴァリエテ
* タルテュッフ
* ファウスト
* [[肉体の道]]
* [[最後の命令]]
* 嘆きの天使
* 激情の嵐
* 支配者
* 世界に告ぐ
== 外部リンク ==
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* [http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo0011.html IVC 淀川長治『ヴァリエテ』 解説ページ]
* [http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo0021.html IVC 淀川長治『最後の人』 解説ページ]
{{アカデミー賞主演男優賞 1928-1940}}
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