「大高忠雄」の版間の差分

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*源五は俳人[[宝井其角]]とも交流があった。討ち入りの前夜、煤払竹売に変装して吉良屋敷を探索していた源五が[[両国橋]]のたもとで、其角と出会った際、「西国へ就職が決まった」と別れの挨拶した源五に対し、其角は、はなむけに「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠んだ。これに対し、源五は「あした待たるるこの宝船」と返し、仇討ち決行をほのめかしたという逸話が残る。[[明治時代|明治]]になってこの場面を主題にした[[歌舞伎]]の『[[松浦の太鼓]]』がつくられた。
 
== 関連項目 ==
*[[元禄赤穂事件]]
*[[赤穂浪士]]
*[[忠臣蔵]]
*[[大石神社]]
*[[大高又次郎]]‐大高忠雄の子孫。幕末、[[池田屋事件]]にて[[新選組]]により殺害。