「チャンドラグプタ (マウリヤ朝)」の版間の差分

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[[紀元前4世紀]]末に北西インド地方で、ナンダ朝に反旗を翻して挙兵した。ナンダ朝の王[[ダナナンダ]]はバッサダーラ将軍を派遣して鎮圧に向かわせたが、チャンドラグプタはこれを撃破し、首都[[パータリプトラ]]を占領してダナナンダを殺害し、ナンダ朝を滅ぼして新たにマウリヤ朝を創建した。この挙兵には、思想家[[カウティリヤ]]が深く関与したといわれている。
 
[[紀元前317年]]から[[紀元前316年|316年]]頃、アレクサンドロス大王がシンド(インド北西部)の[[サトラップ|太守]]に任命した北部太守代行[[エウダモス (太守)|エウダモス]]・[[タクシレス]]と南部太守[[ペイトン]]の軍勢をインド北西部から放逐した。[[紀元前4世紀|紀元前305年]]頃、アレクサンドロス大王の遺将([[ディアドコイ]])の一人で[[セレウコス朝]]の創始者[[セレウコス1世]]が[[インダス川]]を越えて北西インドに侵入したが、チャンドラグプタは60万とも言われた軍事力を背景にセレウコス1世を圧倒し、優位な協定を結ぶことになった。チャンドラグプタはセレウコス1世との協定において、インダス川の向こう側にあるアリア、[[アラコシア]]、[[ゲドロシア]]、[[パロパミソス]]の4州を新たに獲得し、セレウコス1世の娘を息子[[ビンドゥサーラ]]の妃に迎えた。引き換えとしてセレウコス1世に[[戦象]]500頭を与え、西方で[[ディアドコイ戦争]]を戦っていた彼の戦力充実を援助した。
 
こうしてチャンドラグプタは、[[ガンジス川]]流域とインダス川流域、更に中央インドの一部を含む、インド史上空前の巨大帝国を形成した。
 
死後、息子の[[ビンドゥサーラ]]が王位を継いだ。
 
 
== ジャイナ教 ==