「後百済」の版間の差分

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[[935年]]、甄萱の長男の神剣は、次男の良剣と三男の龍剣と共謀して父の甄萱を幽閉し、四男の金剛を殺害した。同年6月、甄萱は、娘を連れて高麗に投降した。
 
[[936年]]6月、甄萱は、神剣の討伐を自ら請い、王建は甄萱と共に後百済を滅ぼした。甄萱は、その後暫くして死去した。良剣と龍剣は、晋州に流され、その後殺害された。同時に、王建は、甄萱の娘婿の朴英に爵位を与え、甄氏の懐柔に努めた。
 
その一方で王建は神剣らが父に背いた事、甄萱が長兄を差し置いて四男に王位を継承させようとした事を、激しく憎んだ。両方とも儒教道徳的には許されない行為だからである。彼は[[太祖 (高麗王)#死去|「訓要十条」]]によって、王位継承の長子優先と、旧百済地域からの人材登用を避けるべく遺言している。旧百済地域からの人材登用の忌避は後々まで悪影響をもたらし、全羅道差別という地域差別となって後代まで残った。