「スキーフライング」の版間の差分

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例として1983年、当時19歳の東ドイツの[[イェンス・バイスフロク]]がハラコフで突風に煽られて大転倒し怪我を負い、翌シーズン大きなジャンプ台ではパニック症状に苦しんだ。トラウマの克服には登山が役立った<ref name="Spiegel2001"/>。
2000年代初めにドイツナショナルチームのヘッドコーチに就任した[[ラインハルト・ヘス]]は選手に極限状態を体感させるため激しいサッカーの練習に続けてカートレースを体験させた<ref name="Spiegel2001"/>。
 
また、日本人でも飛行曲線の高い[[原田雅彦]]は成功ジャンプでも途中でジャンプを止めて手前で降りることもあったほか、強風の中で行われた1998年のヴィケルスンでの大会では1本目3位ながら2本目を棄権している(この時他に[[ディーター・トーマ]]や[[アンドレアス・ゴルトベルガー]]など、飛行曲線の高いジャンパーがこぞって2本目を棄権した)。一方で着地斜面をなめるジャンプが持ち味の[[岡部孝信]]や[[船木和喜]]はフライングヒルを苦にしていなかった。
 
2010年に改修された[[ヴィケルスン]]の新フライング台こけら落としを前に世界記録保持者の[[ビヨーン・アイナール・ローモーレン]]がスキージャンプとスキーフライングの違いについて語った。