「ブミプトラ政策」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎対象:  日本語がおかしいところが多かったので修正
2行目:
 
== 概要 ==
[[イギリス]][[植民地]]時代の[[マレー半島]]では、[[宗主国]]のイギリスによって[[中国]]や[[インド]]など他のアジア諸国から外国人労働者が[[奴隷労働者]]として連れてこられたために多民族社会化したがさらに進んだ。イギリスから独立後、イギリス人や経済的に豊かな華僑を追い出した。それでも居残る華僑に対し[[先住民]]である[[マレー人]]の対立は進み、華僑による[[シンガポール]]の建国(マレーシアからの分離独立)、[[5・13事件]]に代表される民族対立が続いた。対立の主な原因が経済格差であったために、経済的に弱いマレー人の優位性を確立するために一連の、1971年にマレー人優遇の国策が施行された。こういった一連の政策を総称して「ブミプトラ政策」という。これはマレーシアの伝統的な連立与党である[[統一マレー国民組織|国民戦線]]がマレー系民族の強い影響下にあることと無関係ではない。
 
== 批判 ==