|
|
== 批判 ==
[[マラヤ連邦]]を経て[[マレーシア]]が成立する課程で、華人に対して経済的に弱いマレー人を保護するために、マレー人優遇政策が掲げとられた。これに対してシンガポール初代首相である華人の[[リー・クアンユー]]は、華人もマレー人も同じマレーシア人であるとしての立場を取るった。しかし、[[華僑人]]とマレー系住民は人の対立しは治まらず、流血騒ぎにも発展。したり、華僑人の多かったマラヤ連邦の中心都市であった[[シンガポール]]地域はマレーシアから追放され分離独立したりした。これによりマレーシア内のでは先住民族比率は、であるマレー系民族が事実上多人口の7割近くなった。また、伝統的にマレー系移民は多産を尊ぶ気質があ占めるために、マレーシアにおけるマレー系民族の政治力は他民族に対して圧倒的となっていである。そのため、ブミプトラ政策は[[民族差別]]政策の一種と批判されることがあるものの、撤廃は難しいとされている。この政策は、雇用機会平等を唱える[[イギリス]]や[[アメリカ合衆国]]などから厳しく批判された。
==対象==
|