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'''パベル・ビズネル'''('''Pavel Vízner''', [[1970年]][[7月15日]] - )は、[[チェコ]]・[[プラハ]]出身の男子プロ[[テニス]]選手。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム大会]]の男子ダブルスで3度の準優勝を記録した選手である。[[2004年]]の[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]男子ダブルスで[[ジャレッド・パーマー]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])と組んで優勝したこともある。彼は普段からダブルスのみに活動を絞り、グランドスラム大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。ダブルスの自己最高ランキングは5位。身長182cm、体重85kg、右利き。
 
ビズネルの競技経歴は[[1988年]]8月の[[チェコスロバキア]]・[[プラハ]]大会から始まるが、最初期は年間出場試合数が少なかった。[[1994年]]8月のプラハ大会で、男子ツアーのダブルス決勝に初進出を果たす。[[1995年]]に25歳でプロテニス選手となり、[[1996年]]にダブルスで年間3勝を獲得する。[[1997年]]の[[1997年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]男子ダブルスで、ビズネルは[[マルティン・ダム]]と組んで準決勝に進み、ここで最初の活躍を見せた。この試合で敗れた相手は、当時の男子テニス界でダブルスの世界最強を争っていた[[オランダ]]ペアの[[ヤッコ・エルティン]]&[[ポール・ハーフース]]組であった。[[1998年]]から[[2002年]]までの間に、ビズネルは10大会でダブルス決勝戦に進出するが、いずれも準優勝で止まり、長い間タイトルから見放された。その中には[[2001年全仏オープンテニス|2001年全仏オープン]]の男子ダブルス準優勝もあり、パートナーは同じチェコの[[ペトル・パラ]]であったが、決勝で[[インド]]ペアの[[マヘシュ・ブパシ]]&[[リンダー・パエス]]組に 6-7, 3-6 のストレートで敗れた。
 
[[2003年]]2月下旬の[[デンマーク]]・[[コペンハーゲン]]大会で、ビズネルはトマシュ・ツィブレツ(彼もチェコ人選手)と組んで優勝し、ようやく男子ツアーで7年ぶりの4勝目を挙げた。その後は毎年ダブルス優勝を加え、[[2004年]]の[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]男子ダブルスでは[[ジャレッド・パーマー]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])と組んで優勝した。[[2007年]]、ビズネルは[[ルーカス・ドロウヒー]]と組んで[[2007年全仏オープンテニス|全仏オープン]]と[[2007年全米オープンテニス|全米オープン]]の男子ダブルス決勝に進んだ。全仏決勝は[[2001年全仏オープンテニス|2001年]]以来6年ぶり2度目の進出だったが、ここでは[[ダニエル・ネスター]]([[カナダ]])&[[マーク・ノールズ]]([[バハマ]])組に 6-2, 3-6, 4-6 の逆転で敗れ、またしても準優勝に終わった。全米オープン決勝では[[シーモン・アスペリン]]([[スウェーデン]])&[[ユリアン・ノール]]([[オーストリア]])組に 5-7, 4-6 のストレートで敗れ、ビズネルは[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]の男子ダブルスで3度の準優勝止まりに甘んじた。<!--まだ現役トップ、先は分からない-->[[2008年]]は旧友[[マルティン・ダム]]と組んで大半の試合に出場し、[[2009年]]度はアスペリンと組んで活動中である。