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'''マーク・ミッチェル'''(Mark Mitchell [[1968年]]5月2日-)は、[[アメリカ合衆国]]の元[[フィギュアスケート選手]]で、現在はコーチ兼、コリオグラファー(振付師)。[[ボストン]]にて[[ペーター・ヨハンソン]]と共に指導している
 
==来歴==
===アマチュア時代===
ミッチェルは1986年の全米ジュニアチャンピオンである。また1990年に全米選手権で3位になったが、世界選手権に派遣されなかった。ミッチェルの代わりに派遣されたのは、背中の痛みで負傷していた、[[クリストファー・ボウマン]]が不戦勝の形で派遣された。翌年91年は全米選手権4位で、これも世界選手権に派遣されなかった。<br />
 
1992年にも全米選手権で3位になるが、1992年[[アルベールビルオリンピック]]に派遣されなかった。[[トッド・エルドリッジ]]が不戦勝の形でオリンピックに派遣された。しかし1992年世界選手権に派遣されて5位となり、エルドリッジより上の成績だった。<br />
 
1993年全米選手権2位で、世界選手権に派遣されてショートプログラムで満点の6.0をもらう。ショートプログラムは[[カート・ブラウニン]]グに次いで2位だったが、フリーで逆転され最終的に4位に終わる。そのため、1994年[[リレハンメルオリンピック]]のアメリカ男子枠は2となる。これは当時のルールで、オリンピック前年の世界選手権で3位以内に入らないと3枠は取れないルールによる。現在はこのルールは解消されている。<br />
1993年以降は、ミッチェルはイタリアに渡り、[[カルロ・ファッシ]]の指導をうける。その後、プロ化宣言をしたが、1994年全米選手権で5位となりリレハンメルオリンピックには派遣されなかった。1994年以降はプロになり、チャンピンズオンアイスでツアーを回っている
 
1993年全米選手権2位で、世界選手権に派遣されてショートプログラムで満点の6.0をもらう。ショートプログラムはカート・ブラウニングに次いで2位だったが、フリーで逆転され最終的に4位に終わる。そのため、1994年リレハンメルオリンピックのアメリカ男子枠は2となる。これは当時のルールで、オリンピック前年の世界選手権で3位以内に入らないと3枠は取れないルールによる。現在はこのルールは解消されている。<br />
1993年以降は、ミッチェルはイタリアに渡り、カルロ・ファッシの指導をうける。その後、プロ化宣言をしたが、1994年全米選手権で5位となりリレハンメルオリンピックには派遣されなかった。1994年以降はプロになり、チャンピンズオンアイスでツアーを回っている
===指導歴===
彼は現在ボストンのスケートクラブで、前スウェーデンナショナルチャンピオンの[[ペーター・ヨハンソン]]ともにコーチをしている。教え子には2007年世界ジュニア優勝者のStephen Carriere,2008年東部セクション優勝者のKatrina Hacker、2007年全米ジュニア4位のCurran Oi,2007年東部セクション優勝のKylie Gleason、二度のジュニアグランプリ優勝のJuliana Cannarozzo,2008年全米ジュニア3位のBrittney Rizo,2007年カナダジュニア優勝者のDana Zhalko-Tytarenko、2009年全米ジュニア優勝者のRoss Miner<br />
以前コーチしたのは2003年全米4位のScott Smith,2007年全米2位のエミリー・ヒューズ、2004年全米ジュニア2位のJason Wong,2003年全米ノービス3位のJessica Houston,2003年全米ジュニア優勝のErica Archambault.がいる<br />
ミッチェルとヨハンソンは2003 2006 2007年のUSFSA/PSA 優秀コーチに、2006年USOC 最優秀コーチに選ばれている。
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==参考文献==
 
 
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[[Category:アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手]]
[[Category:フィギュアスケートコーチ]]
 
[[Category:1968年生]]