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'''WCWマンデー・ナイトロ'''('』 (''WCW MondayNitro''')) は、[[1995年]][[9月4日]]から[[2001年]][[3月26日]]までアメリカの[[TNT]]で毎週月曜夜に放送された<!--週一回の-->[[プロレス]]番組。[[WCW]]がプロデュースした。同番組は、[[WWE|WWF]]の[[WWE・ロウ|マンデー・ナイト・ロウ]]と視聴率で接戦を繰り広げた。1996年の半ば、ナイトロはWCW対[[nWo]]のストーリーラインで人気を博し、視聴率ではWWFに84週連続で勝ち続けた。視聴率でのナイトロの連勝は1998年4月13日まで続いた。1997年には、スポーツ番組の中で最も視聴率を稼いだ週が16週もあった。番組は、WCWがWWFに買収されて終了した。
 
==初期の成功==
 
WCWマンデー・ナイトロの出現で、同じ月曜夜に放送されたWWFのマンデー・ナイト・ロウとのライバル関係は白熱し、のちにプロレスファンに「[[マンデー・ナイト・ウォーズ]]」と呼ばれるようになる。[[ランディ・サベージ]]や[[ハルク・ホーガン]]といったスター選手の多くがWCWと契約し、特にWWFから[[スコット・ホール]]と[[ケビン・ナッシュ]]を引き抜き、元WWFのホーガン(ハリウッド・ホーガンと名乗った)を含めて反WCWのヒール集団nWoを結成したことで、ナイトロの人気は安定して高いまま継続した。
 
==ロウの挽回==
 
WWFのロウが「アティチュード路線」に転じていた時、ナイトロでは相も変わらず同じ筋書きで番組が進行されていた。[[クリス・ジェリコ]]、[[レイ・ミステリオ・ジュニア]]、[[エディ・ゲレロ]]といった団体の若いレスラーたちがプッシュされないまま、ホーガンとナッシュを初めとしたnWoのメンバーがメインイベントで幅を利かせていた。nWoのメンバーは決して負けることはなく、脚光を浴びたい中堅レスラーが加入してチームは肥大化していった。この時期の唯一の希望が持てる新人は、[[ゴールドバーグ]]と[[ダイヤモンド・ダラス・ペイジ]]であった。1998年7月6日、[[アトランタ]]の[[ジョージア・ドーム]]で行なわれたゴールドバーグ対ホーガンのメインイベントの試合は、11週ぶりに視聴率でWWFに勝つことができた。
 
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==変化==
 
ロウがコンスタントにナイトロより視聴率で勝るようになると、[[エリック・ビショフ]]とWCW幹部は挽回のために一連の応急措置をほどこし、短い期間盛り返した。しかしナイトロには新しいスターを作ることができずにいた一方で、WWFは次々に新しいタレントを生み出した。この構図は1999年になるとさらにはっきりとする。WWFが元WCWの中堅選手のクリス・ジェリコと契約し、ザ・ロックとの抗争を始めると、すぐにクリス・ジェリコはスター選手となった。
 
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==最終回==
 
2001年3月23日、WCWは長年のライバル団体であったWWFによって買収され、3日後の26日に[[フロリダ州]][[パナマシティ (フロリダ州)|パナマシティビーチ]]で開催されたナイトロが最終回となった。
この日のナイトロは、前週の告知により「'''Night of Champions'''」のサブタイトルが付けられ、全王座がかけられる事になった。
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[[Category:WCW1990年代のテレビ番組]]
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[[Category:WCW]]
 
[[da:WCW Monday Nitro]]