「WCWマンデー・ナイトロ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
KamikazeBot (会話 | 投稿記録) m r2.7.1) (ロボットによる 追加: es:WCW Monday Nitro |
編集の要約なし |
||
1行目:
『'''WCWマンデー・ナイトロ'''
==初期の成功==
WCWマンデー・ナイトロの出現で、同じ月曜夜に放送されたWWFのマンデー・ナイト・ロウとのライバル関係は白熱し、のちにプロレスファンに「[[マンデー・ナイト・ウォーズ]]」と呼ばれるようになる。[[ランディ・サベージ]]や[[ハルク・ホーガン]]といったスター選手の多くがWCWと契約し、特にWWFから[[スコット・ホール]]と[[ケビン・ナッシュ]]を引き抜き、元WWFのホーガン(ハリウッド・ホーガンと名乗った)を含めて反WCWのヒール集団nWoを結成したことで、ナイトロの人気は安定して高いまま継続した。
==ロウの挽回==
WWFのロウが「アティチュード路線」に転じていた時、ナイトロでは相も変わらず同じ筋書きで番組が進行されていた。[[クリス・ジェリコ]]、[[レイ・ミステリオ・ジュニア]]、[[エディ・ゲレロ]]といった団体の若いレスラーたちがプッシュされないまま、ホーガンとナッシュを初めとしたnWoのメンバーがメインイベントで幅を利かせていた。nWoのメンバーは決して負けることはなく、脚光を浴びたい中堅レスラーが加入してチームは肥大化していった。この時期の唯一の希望が持てる新人は、[[ゴールドバーグ]]と[[ダイヤモンド・ダラス・ペイジ]]であった。1998年7月6日、[[アトランタ]]の[[ジョージア・ドーム]]で行なわれたゴールドバーグ対ホーガンのメインイベントの試合は、11週ぶりに視聴率でWWFに勝つことができた。
12 ⟶ 10行目:
==変化==
ロウがコンスタントにナイトロより視聴率で勝るようになると、[[エリック・ビショフ]]とWCW幹部は挽回のために一連の応急措置をほどこし、短い期間盛り返した。しかしナイトロには新しいスターを作ることができずにいた一方で、WWFは次々に新しいタレントを生み出した。この構図は1999年になるとさらにはっきりとする。WWFが元WCWの中堅選手のクリス・ジェリコと契約し、ザ・ロックとの抗争を始めると、すぐにクリス・ジェリコはスター選手となった。
22 ⟶ 19行目:
==最終回==
2001年3月23日、WCWは長年のライバル団体であったWWFによって買収され、3日後の26日に[[フロリダ州]][[パナマシティ (フロリダ州)|パナマシティビーチ]]で開催されたナイトロが最終回となった。
この日のナイトロは、前週の告知により「'''Night of Champions'''」のサブタイトルが付けられ、全王座がかけられる事になった。
32 ⟶ 28行目:
{{DEFAULTSORT:まんてえ ないとろ}}
[[Category:
[[Category:アメリカ合衆国のテレビ番組]]
[[Category:プロレス番組]]
[[Category:プロレスの興行]]
[[Category:WCW]]
[[da:WCW Monday Nitro]]
|